『まいっちんぐマチコ先生』
81年〜83年。えびはら武史原作。
小生がちょうど生まれた頃のアニメだったのか。。
キャッチーなタイトリングの記憶ばかりあったので、Amazonプライムでタイトルをみかけて一話だけ見てみる。
あちゃ〜、こりゃあPTAも大騒ぎだわ、という描写と精神性。
裸や性的イメージを惜しげもなく振りまく彼女を精神分析してやろうという態度は、あまり大人げないというべきだろうため本稿では割愛する。
オープニングからハイテンションである。
♪わたしはマチーコー イエイ イエイ!♬
イケイケな若い女性マチコが、短いスカートをはいて回転するたびにパンツが見える。
「いやーん 何すんのー エッチー!」
着替えているところを見られるたびに「イヤーん」と少しうれしそう。
受け持つクラスの生徒に「パンツ何枚もってんのー?」って聞かれて、
「そうねー、白が10枚に柄物が12枚、ってイヤねー何言わせんのよー」という教壇でノリツッコミ。
いやだわ〜、まいっちングっ
というのが決めゼリフで、その一話が落ちる。
いやはや、牧歌的な時代だ。
『アナーキズム(浅羽通明)』
1910年 大逆事件
(幸徳秋水ほか24名が天皇暗殺謀議のかどで逮捕、半数が処刑)
1923年 大杉虐殺(甘粕事件)
(戒厳令下の不法弾圧事件。憲兵隊によって伊藤野枝、甥の宗一さも虐殺さる)
「いかに自由主義をふり回したところで、その自由主義そのものが他人の判断から借りたものであれば、その人はあるいはマルクスの、あるいはクロポトキンの思想上の奴隷である」
他の労働運動家の演説会へおしかけ、弥次り倒して自ら縁談へかけ上がり論戦する「演説もらい」
権威が権力であれば、どこでもそれを攪乱し、今ここに無政府の社会をミニチュアであれ出現させて見せるのが大杉のやり方であった
個々人のエゴを肯定し、それぞれの自由な伸長をよしとして弱肉強食の闘いへ陥らず、調和を保っていくという保障があるのか!(近代思想のジレンマ。漱石の悩みもここにあった)
吉本の目線は、夕食の買い物へ赴く生活者の低く等身大のものだ。
大衆の原像を思想の原点として、その大衆の生活水準の高さ、思想的自由さ、技術水準を社会主義よりずっと進んだ「人類の歴史が無意識に生んだ最高の作品」と言い切った高度資本主義社会。
対して、埴谷雄高は、「豊かな者と貧しい者、大企業と零細企業といった差はなくなっていない。アジアアフリカ諸国の絶対的貧困の上に先進国の資本制が栄えている事実を忘れてはいないか」という。
腹のほうから、背のほうをさぐってゆくと、小高くふくれあがった肛門らしいものをさぐりあてた。その手を引きぬいて、指を鼻にかざすと、日本人とすこしも変わらない強い糞臭がした。同糞同臭だと思うと“お手々つなげば世界は一つ”というフランスの詩王ポールフォールの小唄の一節がおもいだされ、可笑しかった。「ねむれ巴里(金子光晴」
司令塔なくして国家権力と拮抗し、これを廃絶へもってゆく闘いなどはたしてできるのか(アナーキズムの最大のなきどころ)
死に縁取られた有限な存在であるからこそ、人間は生を拡充させようとし、また相互扶助が生まれる..。永遠の生命を約束する者はアナーキズムの敵である
「そんな革命が何の役にたつの?」と問う女子大生のツッコミに対して、よい音楽、よい詩、よいセックスへの没入と同じで、それ自体が目的だとしか答えられない。
現代日本において、自由はとっくに魅力ある価値ではなくなっているのだ
安全と豊かさに恋々としている限り、自由を唱える資格などないのである
・規律訓練型権力(学校職場などに刷り込まれる均質な思考、行動、ルール)と環境管理型権力(VNSやウィンドウズなど他の選択肢がなくなるほどに浸透して思考、行動を規定する仕様)
・自分の脳髄によって、自分が働かしているもの
・一人一殺の情念的な超国家主義
・あらゆる権力は自己目的化し、腐敗する
相田みつおだってこれくらいは言う
『パトレイバー the movie2』
1993年。押井守監督。
宇野常寛がポリティカルフィクションしばしば言及する本作。
9条改正議論が取沙汰される今こそ、再び見返されているという。
都心湾岸のベイブリッジが爆破される。
爆撃機に自衛隊が関与か。
米軍基地から失踪したF16機が引き金になり、国内上空のスクランブル騒ぎ。
アメリカのシステムに侵入され、幻の爆撃を演出される。
つまり、システムやシュミレーション上で攻撃対象(敵軍機)が生み出される、
その脅威からの防衛や追撃の点で戦争を引き起こされる状況。
まるで、多くの戦争が自衛の暴走から始まるという事実のメタファーのようなものだ。
「戦争が平和を生むように、
平和が戦争を生む」
「府中の防空司令部は、追撃命令まで出したって言うじゃないか」
「悪い軍隊なんてものはない。悪い指揮官がいるまでだ」
特車二課レイバー隊。
南雲課長代理(しのぶさん)と後藤隊長。
ツゲの息がかかった人間が混ざっている?
元警察内部の人間によるテロリズムだ。
「政治的要求が出ないのは、そんなものはないからだ」
首都を舞台に戦争という時間を演出すること
「この国はもう一度、戦後からやり直すことになりますな」
「なあ、俺がここにいるのは警察官だからだが、あんたなんでツゲの隣にいないんだ」
『ダラスバイヤーズクラブ(2014)』
テキサスはダラス。
ロン・ウッドルーフ(マシュー・マコノヒー)。
掛け金持ってトンズラこいたりする、ロデオ仲間の荒れた生活。
闘牛場の視覚で女を抱く。オカマとか大っ嫌い。
でもHIVポジティブで、余命30日と診断される。
メキシコまで行って、HIVの違法薬物を輸入。
それら(HIV治療薬)を売りさばく会社を設立。
HIV治療薬を扱う個人商社。
テキサスの病院で治験的使用がされていたAZTは毒性が強かった。
それでも生きたいロンは、AZTをオカマのレイヨンから手に入れていた。
彼が各国から密輸して売り捌いていた治療薬はそれよりいささかマシだった。
(日本に出張、渋谷の病院に赴き、インターフェロンを輸入)
FDA(アメリカ食品・医薬局)から目をつけられる。
莫大な利益のために危険性もある新薬を試したい病院と、
違法治療薬を輸入して売りさばくカウボーイ。
途中からどっちが正しいのか、否、間違ってるのかがわからなくなる。
次第に、オカマのレイヨンとの間に友情もめばえて、
オーガニックとか食べるものにも気を遣うようになる。
おめかししてどこに行くのかと思ったら、
主治医のイブとディナー。
なんだか彼女もうれしそうだ。
事務所スタッフに「ウチもお金が」と言われると、
「車を売れ」と返したとき、彼がほんとの慈善家に見えた。
「いつかは重い腰をあげて、仕事しろよ!」
ほんっとメチャクチャだけど、優しい奴だ。
裁判に負けてオフィスに帰ってくると、みんなに拍手で迎えられた。
実話に基づく話。
『見過ごされてきたもの』(2016年11月17日付 朝日新聞)』
社会について語る場面では、真実を口にしていたのはトランプ氏の方でした。
彼は「アメリカはうまくいっていない」と云いました。ほんとうのことです。「米国はもはや世界から尊敬されていない」とも言いました。彼は同盟国がもうついてこなくなっている真実を語ったのです。
クリントン氏は、仏週刊誌シャルリー・エブドでのテロ後に「私はシャルリー」と言っていた人たちを思い出させます。自分の社会は素晴らしくて、並外れた価値観を持っていると言っていた人たちです。それは現実から完全に遊離した信仰告白に過ぎないのです。
トランプ氏選出で米国と世界は現実に戻ったのです。幻想に浸っているより、現実に戻った方が諸問題の対処は容易です。
民主主義という言葉は今日、いささか奇妙です。それにこだわる人はポピュリズムを非難します。でも、その人たちの方が、実は寡頭制の代表者ではないでしょうか。大衆層が自分たちの声を聞かせようとして、ある候補を押し上げる。それをポピュリズムといってすませるわけにはいきません。
人々の不安や意思の表明をポピュリズムというのはもうやめましょう。
自立やフェア(公正)であることを好み、大きな連邦政府による再分配やアンフェア(不公正)を嫌う。思想的、宗教的な深い部分に根ざす感覚です。
『トランプ大統領と世界』イマニュエル・ウォーラーステイン(2016年11月11日付 朝日新聞)』
しかし、世界に目を向けると、トランプ大統領の誕生は決して大きな意味を持ちません。米国のヘゲモニー(覇権)の衰退自体は50年前から進んできた現象ですから、
今の米国は巨大な力を持ってはいても、胸をたたいて騒ぐことしかできなゴリラのような存在なのです。
右にしても左にしても、先鋭的な集団は内側からの批判を恐れ、どんどん極端になっていく危険性があります。
『グローバル化への反乱』ヴォルフガング・シュトレーク(2016年11月22日付 朝日新聞)』
なぜ自分があんなにもヒラリーを応援していたんだろう。
それはトランプに対する、生理的嫌悪でしかなかったことに気付かされる。
ルールを破り、タブーに触れ、汚い言葉を使う嘘つき。
そんな奴に、大国のリーダーは務まらないし、なってはいけない。
じゃあ、マナーやルールは守るけれど、今まで通りの奴にこの苦境を打開できるのか。
今回の大統領選は、ある種のアメリカ的なプラグマティックな決断なのかもしれない、ということにようやく思い至った。
グローバル化に対する一つの答えは、『よし、みんなでスウェーデンになろう』です。しかし、スウェーデンは腐敗のない政府や労働市場、教育に対し、半世紀以上にわたり投資を続けてきた国です。小国ゆえ、競争力と社会的平等を両立出来るポジションを、世界経済の中に見つけることもできました。
重要なのは、そのスウェーデンですら1990年以降、格差の拡大が世界的にも最速で進んだということです。資本の移動が自由になったからです。企業が課税に抵抗するようになり、投資を国内にとどめておくため、政府が税率を劇的に引き下げたのです。
国家までが国際競争にさらされた結果、福祉国家であることがとても高くつくようになりました。 グローバル化した資本は、規制や労働組合、高税率といった『社会主義の檻』に我慢出来なくなった。
やはり金融緩和に頼ったアベノミクスは、目標をまったく達成できずに失敗しました。他の国も含め『時間かせぎ』はそろそろ限界です。いつかの時点で、借金取りが回収にやってくるのです
いまの成長を阻んでいるのは格差です。お金は、それを使わないお金もちのポケットにたまっているだけ。人々の不満が高まり政治が不安定化したことで、投資もしづらくなり、人を雇うよりも金融市場で投機的に利益を上げようという考え方が幅をきかせました。
こうした民意の反乱は、エリートが当てにならない場合に出てくる、先々に望みのある反応です。ときに醜い形をとりますが、墓地のような静けさを保ったままでは、なにも変わりません。
ドラギ(欧州中央銀行総裁)やイエレン(米連邦準備制度理事会議長)は、あたかも長期的な戦略があるかのように振る舞っていますが、実際に完璧なプランなどありません。
『ナニワ金融道 8巻』
名作回との呼び声高い単行本8巻は、
舶来物タイヤを用いたマルチ商法。
府警のダメ刑事 浴田山海。
若きマルチ商法の総代理店 枷木。
社歴と経験を積み、こ慣れてきた灰原に対して協調する(したかに見える)パートナーが現れたときストーリーは躍動しているような気がする。
ファミレスで灰原をマルチの網に落とそうとする、輩4人。
彼女である朱美の射程の広さ。
こういう台詞を吐かせるのは、波瀾万丈で人生(仕事)と格闘している人間であるがゆえの充足感から出る者にのみだ。アゲマン偏差値高し。
つくづく、一枚上手な女感。
つまり我々の知らないところでこうしたリストが作成され、売り買いされていく。ターゲットが高い確率でセグメント化されたお宝リスト。闇リスト業者。
ここ数年の筋の方々の使用者責任を問うのも、その一端ですよね。
受話器越しの相手の緊張感の欠如を見抜くのも、金融屋灰原の職業勘だ。くっ、この男やるな!
『17歳のカルテ』
99年。原作はスザンナ・ケイセンの自伝『思春期病棟の少女達』。
ウィナノ・ライダー、アンジェリーナ・ジョリー。
レンタルビデオ屋ではしばしば目についたジャケットが、なかなか手に取る機会を失っていた(なぜだろう、女二人の話だろうとタカくくったからかな)。
自身も境界性パーソナリティ障害で精神科入院歴があるウィナノ・ライダーが権利を買い取って製作総指揮したという力の入れよう。
その一方で、リサを演じてアカデミー助演女優賞、ゴールデングローブ賞助演女優賞、全米映画批評家協会賞新人賞と総なめにしたアンジーに嫉妬するような発言もあったとか。要は食ってたんだな。アンジーが主役を。
(恋人、つうか寝ただけの男?のトビーが)
徴兵委員会が俺の誕生日を引き当てれば、俺はもう終わりさ。
全体、リサが病院内のリーダーかつトリックスターとして躍動する。
7〜8人で病棟を抜け出して、ボーリングとか心療医の執務室に行ったり夜の遊び。
外出して、雪の日にアイスクリームパーラーに行ったときにかち合わせた教授夫人(スザンナが夫を寝取った夫人)が絡んできたとき、噛み付いたのがリサ。
まだ来でねえ〜。教授夫人〜。
とにかく破天荒で加減を知らないリサに対して、
スザンナは友情とか信頼みたいなものを獲得したのは間違いない。
この病棟で、あなたはまとも。
あなたはただの怠け者のわがままよ。
自分を壊したがっている子供よ。
(リサは、退院したチキン屋の娘のデイジー(ブリタニー・マーフィー)が父親と近親姦であること見破る)
あんたがパパにやられてんの、みんな知ってんだからねーっ
ここにずっといちゃダメよ。わかる?
物語の終盤。
スザンナは書くことに没頭した。
最後の夜、目を開けると誰もいない。
リサが地下で日記を朗読していた。スザンナの日記だ。
そこには冷静な観察者としてのスザンナが、病棟の患者(友だち)のことを記録していた(それは、仲間うちだけに見せる彼女たちの素直な部分と、観察者としての冷静な視点とを織り交ぜたもので、密告に近い雰囲気だ)。
つまり、「まともな人間が精神病棟に入ったら」という物語のアプローチだ。
観察者としてのまともな人間を演じたライダーが、トリックスターとして躍動したリサを演じたアンジーに、勝てるはずがない。
『インターステラー』
2014年、C・ノーラン監督。
小麦は疫病で全滅。トウモロコシも灰砂で覆われてろくに収穫出来ない世界。
インド空軍のドローンを追いかけて、ハッキングコントロールする。
インドもアメリカも空軍がなくなって10年経つという。
そこは、科学が敗北している未来。
アポロ計画も「ソ連を破綻させるための」ねつ造だったとされ、科学ではなく現実が愛され、農夫になることが奨励される。
つまり、権力も軍隊も労働力においても全ての源は食糧である、とここで暗示されている。
昔、人は星を見ると「向こうに何が」と思った。
今は下を見て、足下の砂の心配だ。
科学好きの娘マーフ(アン・ハサウェイ)に泣きくされた別れ方をしてしまった、宇宙に飛び立った元宇宙飛行士の父クーパー(マシュー・マコノヒー)。
宇宙と時空を隔てたこの物語全編で「相対性理論」が、そして肝心な場面で「愛」が鍵を握る。
親は子供の記憶の中で生きるって。
何千光年離れた、地球に条件が似た星では海中に着陸した。
やがて何千m級の大波が。
地球からの何千光年離れた宇宙へのメッセージ。
27年分を見ながら、泣いたり笑ったり。
ネタバレだし、絶対コピー化出来ないが、
ズバリ本質的で象徴的なコピー出しをするとしたら、
幽霊は、時空をさまよう父だった
だろう。
5次元空間から、娘にデータを贈る。
重力は時間も空間をも、超越する。
何で伝える、愛だ。
(こういう物語が教えることは、「やっぱり親として、子供が言ってることは信じたいな〜」ってこと。形だけでなく、本当のところで。)
パパが約束したから。
父を娘が再会する星では文字通り重力が時空を超えた世界が。。
多分にSFで、多分にノーラン的。
映画ってこういうことが出来るんだ。