ここがパンチライン!(本とか映画、ときどき新聞)

物語で大事なのはあらすじではない。キャラクターやストーリーテリングでもない。ただ、そこで語られている言葉とそのリアリティこそが重要なんだ!時代の価値観やその人生のリアリティを端緒端緒で表現する言葉たち。そんな言葉に今日も会いたい。

『伸予(高橋揆一郎)』

 

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83年6月が一刷である。

第79回芥川賞受賞作品。

芥川賞に偏差値をつける」という書籍で知った。 

高橋揆一郎。カッコイイ名前。

 

伸予。元女教師。たって戦前は、って話。

30年ぶりに、惚れた教え子と会う。自ら自宅に招いて。

積極的な女である。

 

今だったら、4050のおっさんたちが喜びそうな、性愛憧憬というか設定だ。

自費出版でこういうこと書きたいおっさんたちがごまんといるんだろうな、みたいな印象だけれど、当時は新しかったんだろ見える。

 

 

「おとうさんはね、まじめ一点張り。お酒だって付き合いだけ。わたしが頼んで浮気の一つもしてちょうだいといったぐらい、でも浮気はしなかったみたい」

 

p142 

 

 

「恐れ多くてとても、それにですよ、ぼくはまたあの自分の先生のことを、女学校出たての苦労知らずのお嬢さんの気まぐれかと思ってい」

 

p153

 

 

・女学校三年のとき、学校で戦地慰問の手紙を書かされたのがきっかけになった。

・女学生の手紙は兵隊に人気がある、とりわけ、若い将校に人気があるという離しだった。

 

p183

 

迫る男の頬を夢中で張った

 

p184

 

 

蝉の声が聞こえている。半分だけあげた窓のレースのカーテンがまつわりついていた。善吉のいうままに下のもとを脱ぎ捨てた。「上はいや」と伸予はいった。紺のブラウスを着たまま畳の上に横たわり、半眼になって舟型の天井を見ていた。

 

口を結んで善吉の動きに耐えていると、べつな涙がにじんでくる。やっと、という思いが先に立つ。体がよろこんでいるところはなかった。閉じ込めてしまったものは容易に目をさまさないものかも知れない。体中に力をこめてしがみついてた。

 

p205 

 

 

けっきょくのところ過去というものはなにやら宗教みたいなものかも知れないと思った。ねうちを信じたい人はそれにすがるけれど、それを認めない人にはたいした意味はないのだろう。

 

p224

 

 

 

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『「都市主義」の限界(養老孟司)』

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会社の図書館で見つけた、養老翁の各種コラムや講演原稿を編み直したもの。

 最近、深夜のテレビで養老翁が加藤浩二の質問に答える番組やってて、急いで録画した。この人の話していることは、先達の経験と知恵として胸に留めておくべきことが多いような印象がある。

かつてバカ売れした「バカの壁」も当時読んだ筈だったけど、要点が思い出せない。

 

歴史やジャーナリズムは「起こったこと」を書く。しかし、「起こらなかったこと」は書かない。ゆえに「何かが起こらない」ためには人々が傾注した努力はしばしばなかったものにされてしまうのである。

 p10

 

学生は無意識から意識へ、田舎者から都会人になろうとしていたのだが、大学はむしろ「田舎的なもの」を多く抱えていた。それが大学の「封建的構造」と呼ばれたものだった。p14

 

 

私が巻き込まれた紛争とは、要するに田舎が都市化するときに起こった、一時的な現象だったのである。p16

大学紛争の時代にも「都市対田舎」を明瞭にした政治運動があった。 p18

それを政治的な「左右」主義で見るべきではない。将来の事態を見誤る可能性がある。

 

 

平家物語』が平忠盛、東夷が首を晒したい、とんでもない野蛮な田舎さ p24

 

 

 

日本人は死んだ人の悪口をまずいわない。これも見ようによっては、「歴史の消し方」であろう。死ぬことが不幸なことであるだけに、それに加えて、生き残った者が悪口まで言うことはない。そういう優しい心情から悪口をいわれないものだともとれるが、べつなふうにもとれる。死んだら最後、世間の人ではなくなるのだから、もはや生きている人間の現世の利害に関わりはない。それなら誉めておけばいいという、きわめてドライな態度なのかもしれない。

p45 

 

 

亡くなった胡桃沢耕史氏の直木賞受賞作『黒パン俘虜記』は、その意味で参考になる。ウランバートルの捕虜収容所では、労働がきつくて食物の話である。俺はカツ丼だ、俺はカレーライスだと、思い思いのことをいう。そうした食物を考えてどうするのか。自慰をするというのである。

 生物の雄としては、これはたいへん合理的である。なぜか。食物があれば、個体は生き延びる。生き延びれば、次の種付けの機会を待つことができる。金持ち喧嘩せずである。食物がなければ、できるだけ早い機会に、つまり飢え死にする以前に、生殖の機会をもつ必要がある。つまり食べるか、種付けをするか、そのどちらでもいい。それならそういう限界状況では、食欲と性欲が一致するはずなのである。両者を区別する必要がない。男の脳はそういうふうにできているらしい。

p49

 

 

戦後社会の変革を、私は都市化と定義してきた。

平和とか、民主主義とか、経済の高度成長とか、ありとあらゆる表現もできよう。しかし私が経験してきた社会変化の基本は、要するに都市化である、理科的に表現するなら「脳化」なのである。そうした世界では、人々は自然を排除し、すべてを意識化しようとする。つまり人工化しようとする。

p80

 

 

だから一日に一度は、自然と対面すべきなのである。

日常生活を、むしろ自然によって妨害されるような様式に変えていくべきである。それなら自然について、考えざるをえなくなるからである。この前の日曜日、私は虫撮りに行くはずだった。しかし残念ながら雨が降ったのである。

(二〇〇〇年八月)

 p91

 

 

なぜ老化するかを調べると、じつにさまざまな意見があるとわかる。

ということは、正解がないということであろう。こういう場合、科学の常識では「まだ解答がわかっていない」という。

しかし、これもよくあることだが「質問が悪い」という場合もある。

 

p97

 

 

 (震災のあと  ※ここでいう震災は阪神淡路大震災

オフィスのドアを開けると、ーー彼は非常に几帳面な人なのですがーー部屋のなかがぐちゃぐちゃになっている。その惨状を見た瞬間、彼はかーっと腹が立って、こう叫んだというのです。

「だれがこんなことしやがったんだ!」と。私は笑って思わず「あんたは都会人だね」といったのですが、要するに地震だということがわかっているのにこういう反応をしてしまう。「先生、まだ腹の虫はおさまりません。こうなった以上は天皇陛下にやめてもらうしかありませんな」と、こうですから。

 

p132

 

 

ちょっとお考えいただきたいのですが、現在仏教国はどこにあるでしょうか。日本、モンゴル、チベット、ネパール、ブータンミャンマー、タイ、カンボジアラオス、ヴェトナム、スリランカです。世界地図を見るともののみごとにわかりますが、インドと中国という仏教の本家本元で仏教はきれいになくなり、残っているのは完全にその周辺だけです。

 ですから、仏教は都市宗教ではなく、自然宗教だと私は考えます。自然宗教は当たり前の話ですが、自然が残った地域に残ったのです。

 

p135

 

 

そもそも妊娠中絶が日本で「倫理」問題になったことは、世間の本音としては一度もない。それを私は確信している。胎児は母親の一部で、ゆえに母親の一部で、ゆえに親の処分に任されている。それが延長されれば母子心中となり、挙げ句の果ては、保険金のために息子に死んでもらうという同意になる。

ーー

それは外国の意見だけを顧慮した、一種の鹿鳴館政治に過ぎない。

 

 p152

 

 

肝心のことを隠そうとすると、人はしばしば饒舌になる。

それは警察官がよく知っていることである。

 

p200

 

 

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『死んでしまう系のぼくらに(最果タヒ)』

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思春期に読んだらやばい系だったわー

30過ぎても、ぐっとくる言葉たち。

 

 

詩の批評ってほんとに難しい(もちろん短歌よりも)。

共通理解や前提が少ないからだろうか。

個々が描いた風景について、おそるおそる語るしかないのだ。

 

意識される、死と他人の目。

キラリと光る、数行が、この詩人の歌集にはあった。

 

 

大切なものが死んだあとの大地はすこし甘い匂いがする

ベランダにあったはずの蝉の死骸がなくなっていて

生き返ったのかなとご飯を食べながら平然と思う

ーーー

ーーー

ーーー

(線香の詩)

 

 

 

私達のこのセンチメンタルな痛みが、疼きが、

どうかただの性欲だなんて呼ばれませんように。

昔、本で読んだ憂鬱という文字で、かたどられますように。

ーーー

ーーー

ーーー

(文庫の詩)

 

 

 

ーーー

ーーー

だれでもいいような世界にでていくのだから、だれでもいいような気持ちで愛を語ってごらんって。名言だ。大好き。

きみは別の子と手をつないで楽しそうだね。思う

ーーー

ーーー

愛について語れるぐらい、最低になりたいな。

寿命で死ぬのはブスって、きみに言われて生きたい。

 

(渋谷)

 

 

 

 

 

女の子の気持ちを代弁する音楽だなんて全部、死んでほしい。

いろとりどりの花が、腐って香水になっていく。

ーーー

ーーー

愛について語れるぐらい、最低になりたいな。

死ぬな、生きろ、都合のいい愛という言葉を使い果たせ。

 

 

(香水の詩)

 

 

 

 

 

ーーー

ーーー

女の子を侮辱しよう。

おまえらは悪魔だと侮辱しよう。

いつか泥まみれになって、泥を産んでそれをひっしで人間にしようと、あがくんだろう。と笑おう。

 

 

(骨の窪地)

 

 

君は犬みたいに信じて待つけれど

 

 

好きだった音楽をきいて心が爆発しなくなったら、

私の思春期はつまらない生命維持装置の心臓に

殺されたってことだろう。

恋のような苛立ちや焦りが、結局は性欲だったこと、

ただの大音量に本能で反応していたこと。知っていたよ。

私のスカートの下には肌がある。それは猫や犬と同じよ。

 

 

(スピーカーの詩)

 

 

 

ーーー

ーーー

愛してほしいというのは暴力だ、だから抱きしめたいと言ってみる。欲情でかたったほうがむしろ、信じられるって、言っていたのはどこの誰だっけ。だれも好きにならないで、そのまま結婚して子どもを産んで、死ぬ人生は、おだやかで幸福感に満ちていた。

 

 

(教室)

 

 

 

言葉も、情報を伝える為だけに存在するわけじゃない。

意味の為だけに存在する言葉は、ときどき暴力的に私達と意味付けする。その人だけのもやもやとした感情に、名前をつけること、それは、他人が決めてきた枠に無理矢理自分の感情をおしこめることで、その人だけのとげとげした部分は切り落とされ、皆が知っている「孤独」だとか「好き」だとかそういう簡単な気持ちに言い換えられる。

けれど、それは本当に、その名前のとおりの気持ちだったんだろうか。いつのまにか忘れてしまう。恋なんて言葉がなくても、私はそれを恋だと思っただろうか?

 

ーーー

ーーー

 

言葉が想像以上に自由で、そして不自由なひとのためにあることを、伝えたかった。私の言葉なんて、知らなくていいから、あなたの言葉があなたの中にあることを、知ってほしかった。

それで一緒に話したかったんです。

そんなかんじです。またいつか、お会いできたら嬉しいです。

ありがとう。

 

(あとがき)

 

 

 

 

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『細雪(下)』

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幸子の心情描写が多い巻。

姉妹の何気ない会話が醍醐味だろう。

女とは、仕事もせずに家にいると、細かいところまで言葉を交わしているのか、と感心するほどである。

 

ちなみに、作中トピック箇条書きという野暮なことをするとすると、

◆ 帝国ホテルにアメリカへ行く井谷の送迎品を買いに。皇記2600年祭(1940年)で大いにホテルが混む。

◆ 人目に触れぬよう妊娠したこいさん有馬温泉に匿う。

◆ こうやってみんな出て行くんだな、寂しい。とか思いながら、幸子の下痢はその日も止まらずに汽車に乗ってからもまだ続いていた。 で、小説が閉まる。

 

彼女は、自分がつい昨日も、あの時から引き続いて何回目かの見合いをしたところであり、今日はその帰途であることを思い、もしその事実をこの男が知ったらと思うと自ずから身が竦むような気がした。それに生憎と、今日は一昨日とは違って、余りぱっとしない色合いの友禅を着、顔の拵えも至って粗末にしているのであった。

→かつてお見合いで振った相手に対する見栄とか、さもありなんと面白く。

 

私は自分の身内からそう云う妹を出したことを恥らしく思います。蒔岡家に取ってもこの上ない不名誉です。聞けば雪子ちゃんまでがこいさんの味方をして、今度のことも私たちに知らせる必要はないと云ったとか。

 

 

幸子はまずいことになったと思った。雪子の電話嫌いは一族の間でも有名になっているので、

 

断るにしても尤もらしい口実を構えて言葉上手に断ったのならまだしもであるが、どうせそんな芸当の出来る人ではないので、さぞ不細工に、取って付けたような挨拶をしたことと思うと、幸子は何がなしに口惜し涙が溢れて来た。そして、眼の前に雪子を見ていると一途に腹が立って来るので、ぷいと階下へ降りて行って、テラスから庭へ出た

 

 

 雪子さんにああ云う態度を取らして置く幸子さんの気持が分からない、今時華族のお姫様だって、宮様だって、あんなでよいと云う法はないのでに、いったい幸子さんは自分の妹を何と思っているのだろうかと、丹生夫人は云っていた

 

 

その、どんよりとした底濁りのした、たるんだ顔の皮膚は、花柳病か何かの病毒が潜んでいるような色をしていて、何となく堕落した階級の女の肌を聯想させた。

 

 

ただ何処までも、自分の肉親の妹をそんな不良の女であると思いたくなかったこと

 

 貞之助は妻のそう云う子供じみた所作に何年ぶりかで接した気がしたが、夫婦は云わず語らずのうちに、もう十何年前になる新婚旅行当時の気分に返っていた

 

 

今月は二千六百年祭でいろいろの催しがございますので、雑誌の方も相当忙しゅうございますの、

 

ーーー観艦式の明くる日が、大政翼賛会の発会式、それに靖国神社の大祭も始まっておりますし、二十一日には観兵式もございますし、今月の東京は大変なんでございますのよ。

 

「わたくし、実は顔のシミのことも申しましたのよ」

 

 

幸子たちは十二時前に此処へ来たのに、やがて二時になってしまい、五時と云う今夜の会に間に合うかどうか心もとなく、二度と再び資生堂なんかへ来るものではないと、腹立たしさを怺えながら苛々していたが

 

 

「雪子ちゃん、よう覚えとき。ーー大安の日なんかに知らない美容院へ行くもんやないで」と、幸子は口惜しそうに云った。

 

 

 妙子は安楽椅子の腕の上に横顔を載せ、どろんとした眼を幸子に注いで、

「うち、多分二三箇月らしいねん」

と、いつもの落ち着いた口調で云った。

 

 

(幸子:)普通の思いやりがあるのなら、旅行中は何があろうとも辛抱し、家に帰って精神的にも肉体的にもあたしが平素の落ち着きを取り返した頃を見計らって、徐ろに打ち明ける、と云う風にすべきではないか。・・・

 

 

そう云えば、昔幸子が貞之助に嫁ぐ時にも、ちっとも楽しそうな様子なんかせず、妹たちに聞かれても、嬉しいことも何ともないと云って、きょうもまた衣えらびに日は暮れぬ嫁ぎゆく身もそぞろ悲しき、と云う歌と書いて示したことがあったのを、図らずも思い浮かべたが、下痢はとうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ続いていた。

 

 

 

(解説)

(戦中当局により言論弾圧の中) 関西の上流中流の人々の生活の実相をそのままに写そうと思えば、時として「不倫」や「不道徳」な面にもわたらぬわけには行かなかったのであるが、それを最初の構想のままにすすめることはさすがに憚られたのであった。

 

 

 

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『細雪(中)』

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こいさん(末の妹 妙子)をメインにした巻ですね。

 

奥畑の啓坊の花柳界遊びの噂。妙子洋行の目論み。

大水で九死に一生。英雄板倉の妙子救出。

啓坊への不信と板倉への気持ち。

男の入院、脱疽、死。

と要点書き出すと、なんのことはないつまらなさですが。

船場の上流階級による、(というより谷崎本人の)隠せぬ特権意識とブルジョワ価値。

 

この青年が妙子の将来の夫たることを既に公然と認められているような口の利き方をするのに、軽い反感と滑稽とを覚えながら聞いていた。奥畑のつもりでは、自分がこのことをお願いに上ったと云えば、大いに幸子から同情もされ、打ち明けた相談もして貰えるものと思い込み、巧く行けば貞之助にも紹介して貰えるものと期待して、わざと今頃の時間を狙って来たのであるらしく、

 

 

尤も今から八九年前、始めて啓ちゃんを恋した頃には、自分はまだ思慮の足りない小娘であったから、実は啓ちゃんがこんな下らない人間であるとは知らなかった訳であるが、しかし恋愛と云うものは、相手の男が見込みがあるからとか、下らないからとか云うことのみで、成り立ったり破れたりするものではあるまい、

 

 

夏の間に思いきり葉を繁らした栴檀と青桐とが暑苦しそうな枝をひろげ、芝生が一面に濃い緑の毛氈を展べている景色は、彼女が先日東京へ立って行った当時と大した変わりはないのであるが、それでも幾分か日差しが弱くなり、 仄かながら爽涼の気が流れている中に、何処からか木犀の匂が漂うて来たりして、さすがにこの辺にも秋の忍び寄ったことが感じられる。

 

妙子は前に一度事件を起こしたことがあり、自分や雪子とはちょっと心臓の打ち方の違ったところがある妹なので、まあ、露骨に云えば、全幅的には信用していない点があった。

 

なぜと云って、板倉の英雄的行動には最初から目的があったのだ。あの狡猾な男が、何か偉大なる報酬を予想することなしにああ云う危険を冒す筈がない。

 

 

彼が埒を越えない限り、此方も知って知らん顔していたらよい

 

 

よく云えば近代的、と云えるところがったのであるが、その傾向が近頃妙な具合に変貌して、不作法な柄の悪い言語動作をちらつかせるようになった。人に肌を見せることは可なり平気で、女中達のいる所でも、帯ひろ裸の浴衣がけで扇風機にかかったり、湯から上がって長屋のおかみさんような恰好でいたりすることは珍しくない。

 

 

未来の妻のためにズボンを汚すことさえも厭う軽薄さを見せては、すっかり望みを失ったのであった。

 

 

こいさんはそう云うけれども、私達が話してみた具合では、つまらないことを偉がったり自慢したりする癖があって非常に単純で、低級のように思われるし、趣味とか教養とか云う方面も、成っていないように感じられる。

 

 

 彼と妙子とを正式に結婚させる分には、さきざきどんなに困るようなことがあるにしても、さしあたって世間の手前は悪くないが、妙子が板倉と自由結婚すると云うことになれば、これは明かに、社会的に嘲笑を招くであろう。

 

 

 

襖を開けると、雪子が縁側に立て膝をして、妙子に足の爪を剪って貰っていた。

「幸子は」

 と云うと、

「中姉ちゃん桑山さんまで行かはりました。もう直ぐ帰らはりますやろ」

 と、妙子が云う暇に、雪子はそっと足の甲を裾の中に入れて居ずまいを直した。

貞之助は、そこらに散らばっているキラキラ光る爪の屑を、妙子がスカートの膝をつきながら一つ一つ掌の中に拾い集めている有様をちらと見ただけで、又襖を締めたが、その一瞬間の、姉と妹の美しい情景が長く印象に残っていた。そして、この姉妹たちは、意見の相違は相違として、めったに仲違などはしないのだと云うことを、改めて教えられたような気がした。

 

 

(板倉の死に際して)

自分の肉親の妹が、氏も素性も分からぬ丁稚上がりの青年の妻になろうとしている事件が、こういう風な、予想もしなかった自然的方法で、自分に都合良く解決しそうになったころを思うと、正直のところ、有り難い、と云う気持ちが先に立つのを如何とも制しようがなかった。

 

 

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『異論のススメ(朝日新聞 2017年2月3日付)』

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佐伯啓思。ここ数年、この人の言ってることは一環している。

グローバリズムの速度を落とせ、保護主義もバランス良く取られい。そんなこと。

 

なにせ、先日のスイスでのダボス会議では、あろうことか、中国の習近平主席が、自由貿易グローバリズムを守らねばならない、と演説したのである。つい噴き出してしまうが、それほど保護主義は分が悪い。

 

 

このグローバリズムの時代に保護主義などとんでもない。

 

 

自由貿易とは、各国がそれぞれの得意分野に特化して貿易するという国際分業制である。すると両国でウィンウィンの関係を結べる、と。

 

 

仮に米国の土壌がジャガイモに適しており、日本の労働者が半導体の生産に適していたとしよう。すると、アメリカはもっぱらポテトチップスを生産し、日本はシリコンチップを生産し、両国が貿易すればよい。これでウィンウィンになる、というのである。

 だが、もちろん米国は世界に冠たるポテトチップス大国では満足出来ない。そこでどうするか、政府が半導体産業を支援したり、〜つまり、自国の優位な産業を政府が作り出すのである。

 

 

かくて、グローバリズムのもとでは、自由貿易は決しておだやかな国際分業制などには落ち着かない。

 

 

『フラニーとズーイ』

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村上春樹訳。

ラニー編がすごい好きだ。

 

世の中の、自分の回りの何もかもがクソばっかに思えて、気に入らないときってのは確かにある。

それは、彼氏や恋人であっても、当然その例外じゃない(何なら、恋人なんて分かり合えない存在の最たるモンだ)

 

ここのところわたしは頭がちょっぴりおかしくなっています。

 

 

「ああ、あなたに会えて嬉しい!」、タクシーが動き出したときにフラニーはそう言った。「会えなくてすっごく淋しかった」。その言葉を口にしたとたん、それがぜんぜん本心でないことがわかった。そしてこれも罪悪感からレーンの手を握り、指を温かくぴったり彼の指に絡めた。

 

 

それを目ざとく感知してしまったことに、罪の意識を覚えなくてはとフラニーは心を決めた。そしてその結果、それに続くレーンの長話を熱心に傾聴する(ふりをする)という罰を、自らに宣告した。

 

 

レーンの表情から、自分が場にそぐわない質問をしたことを彼女は悟った。更に具合の悪いことに、彼女は突然もうオリーブなんて食べたくなくなってしまった。どうしてそもそもそんなものをほしいなんて口にしたのか、自分でもよくわからない。

 

 

レーンは苛立ちを募らせながら、しばらく彼女の様子をうかがっていた。真剣にデートしている娘が注意散漫なそぶりを見せると、憤慨したり不安を感じたりするタイプの男であるらしい。

 

 

「知ったかぶりの連中や、うぬぼれの強いちっぽけなこきおろし屋に私はうんざりしていて、ほんとに悲鳴を上げる寸前なの」。

〜〜よくわからないけど。私が言いたいのは、何もかもがどうしようもなくくだらないってこと

 

 

「この話はもうよしましょう」と彼女はほとんどどうでもよさそうに言った。そして吸い殻を灰皿に押しつけた。

「私はどうかしているのよ。これじゃ、この週末を台無しにしてしまいそう。私の座っている椅子の下に落とし戸があって、このままぱっと消えちゃったらいいかも」

 

 

彼はコートから目を逸らし、マティーニ・グラスを見つめた。得体の知れない不当なはかりごとに遭った人のように、憂慮の色を顔に浮かべて。

ひとつだけはっきりしていることがある。この週末はあまり面白くない始まり方をしてしまったということだ。

 

 

歯がおかしな感じになるの。がたがた震えちゃうの。一昨日なんて、グラスを噛んで割ってしまいそうになった。私は頭が完全にいかれちゃっていて、それに気づかないだけなのかしら」。

 

 

 

ズーイの章

夢も希望もない講座を抱えていたりはしなかったかもな、と自らに問うこともないではない。でもそんなのはたぶん世迷い言だ。職業的耽美主義者に足して、カードはあらかじめ不利に仕組まれているのだ(感心するくらいに実にぴったりと)。

 

 

シーモアがかつて僕にーよりによってマンハッタンを横断するバスの中だぜーこう言ったことがある。

すべてのまっとうな宗教的探求は差異を、目くらましのもたらす差異を忘却することへと通じていなくてはならないんだと。それはたとえば少年と少女の差異であり、動物と石との差異であり、昼と夜との差異であり、熱さと冷たさの差異だ。そのことが唐突に肉売り場のカウンターで僕の心をはしっと打ったんだ。

 

 

才知こそが僕の永遠の宿業、僕の木製の義足なのであり、それを人前でわざわざ指摘するのは、決して好ましい趣味とはいえないと言った。

 

 

「あんたは結局、言いたいことをぜんぶ言うじゃないか。僕がどう返事をしたところでー」

 

 

「僕はある夜、フラニーが外出の支度をしているあいだにそいつと二十分にわたって話をした。底なしに消耗な二十分だ。言わせてもらえば、あいつは巨大な空っぽだよ

 

 

最初の二分間で誰かのことが気に入らなかったら、おまえはその相手を永遠に受けつけない」

 「そんなに好き嫌いが激しいまま、この世界で生きていくことはできないよ」

 

 

「いずれにせよおまえの妹は、彼はすく頭が切れるって言ってるよ。レーンのことだけどね」

「そりゃ要するにセックスが絡んでいるからさ」とズーイは言った。

 

 

僕は誰かと昼食をとって、そこでまともな会話を交わすことすらできないんだ。すごく退屈しちゃうか、それとも偉そうに説教を垂れるかするものだから、少しでもまともな頭を持った相手なら、椅子を掴んで僕をぶん殴りたくなる」

 

 

「なんで結婚しないんだい?」

 それまでとっていた姿勢を緩めると、ズーイはズボンのポケットから、折り畳まれた麻のハンカチを取り出し、さっと広げた。そして二度か三度、それで洟をかんだ。ハンカチをしまい、言った。「僕は列車に乗って旅行をするのがとても好きなんだ。結婚すると窓際の席に座れなくなってしまう

「そんなの理由にもならないでしょうが!」

「申し分のない理由だよ。もう出て行ってくれよ、ベッシー。ここで僕に平和なひとときを送らせてくれ。気分転換にエレベーターにでも乗ってきたらどうだい?

 

 

 

『細雪(上)』

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谷崎である。細雪である。

この歳になって、日本の小説、否、近代文学の素晴らしさがよく分かるようになってきた。日常や生活に垣間みる、心情と風雅の機微(言語化)。

 新しいものではなく、古くて今でも残っているものを繰り返し読むべきだ、そう思うようになってきた。

 新しい小説に価値がないってわけじゃない。ただ、この世の中には読むものがあり過ぎるから、優先順位があってもいいって、そういうことだ。

 

大阪船場、蒔岡家の四人姉妹(鶴子、幸子、雪子、妙子)、昭和十年代の関西上流社会。

 娘のいる上流家庭の体面。家族の中でもメッチャ気使う、行き遅れた真ん中の娘(雪子)問題。東京に本家が越して、雪子が神経衰弱に。。

 

ヴィタミンBの注射をするのが癖になってしまって、〜家族が互に、何でもないようなことにも直ぐ注射し合った。

 

 

要するに御大家であった昔の格式に囚われていて、その家名ふさわしい婚家先を望む結果、初めのうちは降る程あった縁談を、どれも足りないような気がして断り断りしたものだから、次第に堰けんが愛想をつかして話を持って行く者もなくなり、その間に家運が一層衰えて行くという状態になった。

 

 

まず身の丈からして、一番背の高いのが幸子、それから雪子、妙子と、順序よく少しづつ低くなっているのが、並んで路を歩く時など、それだけで一つの見ものなのであるが、衣装、持ち物、人柄、から云うと、一番日本趣味なのが雪子、一番西洋趣味なのが妙子で、幸子はちょうどその中間を占めていた。顔立ちなども一番円顔で目鼻立ちがはっきりしてい、体もそれに釣り合って堅太りの、かっちりした肉づきをしているのが妙子で、雪子はどの反対に一番細面の、なよなよとした痩形であったが、その両方の長所を取って一つにしたようなのが幸子であった。服装も、妙子は大概洋服を着、雪子はいつも和服を着たが、幸子は夏の間は主に洋服、その他は和服と云う風であった。そして似ているという点から云えば、幸子と妙子とは父親似なので、大体同じ型の、ぱっと明るい容貌の持ち主で、雪子だけが一人違っていたが、さう云う雪子も、見たところ淋しい顔立でいながら、不思議に着物などは花やかな友禅縮緬の、御殿女中式のものが似合って、東京風の渋い縞物などはまるきり似合わないたちであった。

 

 

さすがに優越感を抑えがたいところもあって、「あたしが一緒やったら雪子ちゃんの邪魔することになるねんて」と、夫の貞之助の前でだけは幾らか誇らしげに云ったり、

 

 

大概の大商店が株式組織になった今日では、「番頭さん」が「常務さん」に昇格して羽織前掛の代わりに背広を着、船場言葉の代りに標準語を操るようになったけれども

 

 

二人で並んで盃をする時に、花婿の風采があまり爺々して見えるのでは、雪子が可哀そうでもあるし、折角世話をした自分たちにしても、列席の親類達に対して鼻を高くすることが出来ない。

 

 

まだ小学二年生の少女でも、神経衰弱に罹らうことはるだろうか。

 

 

 

鬱みたいなことって、そりゃ昔もあったんだよな。。

 

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『分断の行方(2017年1月21日付朝日新聞朝刊)』

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水島治郎さん 千葉大学教授

既成政治かポピュリズムか、右か左かという2本の軸で分けると、「既成で左」がクリントン氏、「既成で右」がジェフ・ブッシュ氏ら共和党主流派、「ポピュリズムで左」がサンダース氏、「ポピュリズムで右」がトランプ氏を支持したとえいます。中南米は「ポピュリズムで右」が弱く、欧州では「ポピュリズムで左」が弱いが、米国は四つがそろっている。

 

 

トランプ氏の主張は右派に響く「移民たたき」に加え、ポピュリズム的な「既得権益層批判」も主張に加えることです。

 

 

青木保憲さん 大阪城東福音教会牧師

福音派は米国民の4分の1ほどを占め、聖書に書かれていることをそのまま信じます。

 

 

移民の国の米国には、国の長い歴史や「共通する過去」がありません。代わりに、宗教的な価値をベースに「神の前では人は平等で、機会が等しく与えられ、努力すれば成功できる」という「共通の未来」をアメリカン・ドリームとして共有してきました。

 

 

 共通の未来を託せる人物がいないことを理由に投票を棄権するのは、米国民としてのアイデンティティを自ら否定する行為です。

どうあっても選ぶしかない。ならばと、人工中絶否定といった「いいところ」を見つけてトランプ氏に迎合したのです。

 

 

 

 

 

「しんせかい(山下澄人)」

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第156回芥川賞が、山下澄人氏の「しんせかい」に決まった。

 

我々「勝手に芥川賞選考会」では、二番目に評価の低い作品だった。

「これが受賞したら抗議文送ろうぜ」とまで言っていた作品だ。

正直、驚いている。

 

今回の候補五作は前回と比べても意欲作が少なく、我々の基準には達しなかったため「該当作ナシ」だった。

小説としては面白い部分があるものもあったが、「芥川賞には、、ねえ。」ってなものばかりだった。

とはいえ、明治の御代、「二月・八月(ニッパチ)」という出版不漁シーズンに構えられ、そもそも出版業界振興のために設けられた同賞で、商業主義的でくだらねー大人な決定を下すなら、「カブールの園(宮内悠介)」とかじゃねえのくらいに思っていた。

 

甘かった。狙いはもっと俗だった。

この作家本人が来歴を隠していないように、富良野塾一期生だと。倉本聰門下なんだと。ズバリその舞台を借りて主人公の名前さえ「スミト」って自分の名前語って書かれた本作が受賞したんですって。翌日の朝刊には、ご丁寧に倉本聰のコメントまで添えられて。ハイハイ、良かったね。

芥川賞にゃ、別に恨みも義理もねーけど、せめて最も著名で権威がある新人文学賞の威厳っつうか矜持みたいなもんを見たかったなー。こっちだって選考してんだからよお(勝手にだけど)。

 

 

生意気言ってすいませんが、

端的に言って、文章が稚拙なのだ。

山間部の集団生活で垣間みる人間的省察、洞察みたいなものに疎い。 

「ただ、誰もが知ってる演劇の塾が舞台で、青春らしきものはある」みたいな感じ。

 どうせ今回初めて選考委員に加わった吉田 修一とかが推したんだろ。どうせ。

 

 稽古場と呼ばれる大きな丸太小屋の中にぼくたちはいた。

 

「君はさっき安藤に質問されてブルースリーとかいってたね」

いった。

「はい」

「何ていった」

「はい」

「え」

え。

「はいじゃなくて、何てこたえた」

「あ、ブルースリー、です」

「そうじゃなくて、何てこたえた」

だからブルースリー

「誰かおぼえてる?」

一期生たちに【先生】は聞いた。

「はい」

と金田さんが手を挙げた。一期生の金田さんは脚本家志望の田中さんの彼女でとてもしっかりした人で、顔もしっかりしている、俳優志望の人だ。

ブルースリー

「そう」

 そういったのに。

 

→この辺りは、先生の言葉が異様な存在感を帯びたシーンだ。
閉じられた社会で、先生が語る言葉がある種の特別な作用をもたらして生徒達に受け容れられている。あたかも宗教家が信者達に何かを語るように。

何せ、特殊カッコ【】内に 先生 である。先生が語りかけ、それが生徒達の世界や現実に多くの作用をもたらすようになるのかも、

と想像してはみたが実際はここだけだった。作者が意識的に書き分けたわけではなさそうだった。

 

【先生】は怒っているというより、少し、何というか、傷ついていた。

 

 

「シャバに」

「え」

「女いんのかよ」

こんな言葉使いするけいこははじめてだ。

「どうなんだよ」

「いるんだろ」

結局わたしらは付き合っていたわけではなかったみたいやし、そう思うとわたしのことあんまり見てなかったり聞いてなかったりしたこともすごくああなるほどって思うし、少しだけ悩みましたが、そういうことになりました。

 

「わかってんだよ」

話すたびにけいこが吐く息が白く充満する。

 

 

 

 

けいこは上着を脱いで、セーターを脱いで、下着をはぎ取った。ない胸が見えた。

「ないから何だよ!」

窓はくもって真っ白だ。息がつまる。

「お前も脱げよ」

服を脱いでいられるような音頭じゃない。

「わたしが脱いでんだからお前も脱げよ!」

どこからか猫の鳴くような音がしていた。聞きおぼえのある音だ。これは、喘息だ。喘息の音だ。【谷】へ来てから一度も発作が出ていなかったから忘れていた。

「うわあーーーーーー!!」

 と叫びながらけいこが外へ飛び出した。