ここがパンチライン!(本とか映画、ときどき新聞)

物語で大事なのはあらすじではない。キャラクターやストーリーテリングでもない。ただ、そこで語られている言葉とそのリアリティこそが重要なんだ!時代の価値観やその人生のリアリティを端緒端緒で表現する言葉たち。そんな言葉に今日も会いたい。

論壇時評「充実を支持する層は」_小熊英二

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福祉の充実が、貧しい人に支持されていない。嘘のようだが本当の話だ。

 

大沢によれば「日本の税・社会保障制度はOECD諸国の中でも最も累進度低」い。とくに社会保険料は、低所得の人ほど相対的に負担が重い。

 

純粋に政府からの所得移転だけをみても、日本は一番豊かな上位二〇%のほうが一番貧しい二〇%よりも多く移転されている」。つまり今の制度は、豊かな層の方が得るものが多く、「低所得層は、負担は相対的に重く、受け取るものは相対的に貧弱」だ

 

その前提は、欧米がそうであるように、低所得層は福祉充実をうたう政党を支持するはずという認識だ。だが西澤は、日本の有権者の意識は「経済学者・政治学者が想定する『前提』とは真逆」だというのだ。 

 

 

 

 

 

『政治断簡:冬来たりなば春遠からじ(高橋純子)』

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「死ぬ時間考えてほしいよ。この時間は死ぬ時間じゃねえだろ。2時ぐらいに死ねよ」

「そうだよね〜」

2人ともスマホの画面を見つめたまま。

 

共感、共生の感覚が細り、やせてしまったこの社会の土壌。

「共」の醸成は、政治の大きな役割のひとつだ。

 

政治の言葉は本来、社会を豊かにする力をもっているはずなのだ。それなのに。

 安倍晋三首相のさらさらと流れる所信表明。「死ね」と、きゃぴきゃぴ炎上を商う国会議員。政治家が保身と目先の人気取りに専心し、そのためなら敵意をあおって社会を分つこともいとわない。

 

 

 

 

『R帝国(中村文則)』

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中村文則として、書かずには済まされないテーマ(という位相)だったのだろう。

 しかし、破滅的な展開において愛とか小さい頃の出会いについてのみ首尾よく上手い具合に(つまりはご都合主義的に)ことが運ぶのは興ざめを禁じざるをえない。

 悪や悪意を具現化するとき、政府や権力として大きなものを描くということにどれだけリアリティを感じなかったか。(現実にはそういう存在を感じている時代ではあるのにどうしてだろう...。チープなものに映ってしまった)

 この作家は、もう少し個人の内面や“小さい点”について紡いでいくほうが巧いし、得意とすることに間違いないだろう。(自己模倣を脱却したいという思いはあるんだろうが..)

 

人工知能として個人にスタンドのごとく付き添うHP

 

こいつの意志一つで、と思う。こいつが引き金を動かすかどうかで、自分の命が失われる。銃身の先が自分の身体のどこかと繋がり、そのことで全身を止められているように思えてならなかった。

 

できるか?そう考えが浮かび打ち消す。人を殺すことになる。だがそれが何だというのだろう?こいつはこんなことをする人間なのだ。こんなことをする人間がどうなったってどうでもいい。

 

 

この世界は、こんな風だったのか?こんな理不尽な理由で人が死に人生が終るのか?

 

 

独裁政権の方が、他国にとって都合がいいのだった。その王を腐敗させ、ズブズブの関係を築いておけば石油が安く手に入る。

 

 

この時点で本来、日本は降伏すべきだった。なぜなら、サイパンがアメリカの手に落ちたということは、後の硫黄島と同様地理的に、アメリカはそこからほぼ日本全土に空軍機で往復爆撃が可能になるからだ。

 

命を捧げることを全国民に強いた世界でただ一つの国かもしれない。

 

正確に言えば、ボロボロの状況の中で、このまま幸福するのでなく、最後に何かで大反撃をし戦局を好転させ、和平交渉に入ることだった。見通しが甘過ぎる。

 

アメリカと日本では、戦争の種類が元々違っていた。アメリカの方は降伏がある通常の戦争。日本は降伏のない戦争。悲劇的だったのは、日本が絶対に勝てない戦争でそれをし続けたということだ

 

テロは世界中に需要があるのだよ  

 

世界の歴史が、全て自然発生的に起こると思うほど君は甘ちゃんじゃないだろう?

 

男性に何をされたって、女性は汚れるなんてことはないよ。

 

人生とはこんなにも簡単だったのかと!

 

 

人間の、穢い部分、憎悪とか醜悪とか最低な部分を描く。

話の流れ上、無理ない形でそれらを人の口から言わせるには、最低な状況を作り出さなければいけない、と考えるのも無理ないか..

 

 

 

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取り替え子 -チェンジリング-(大江健三郎)

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亡き義兄、伊丹十三をモデルに。

 

田亀での、吾郎との会話。

 cf.千樫はそこまでを区切りに、田亀をとめた。

兵隊ベッド...

 

これは受け身の事故ではなく、自分の積極的な表現行為が引き出したものであって、このように、またこれからもヤクザと闘い続けることによって、表現行為を全体化する

 

 

第三章 テロルと通風

 左足は骨のある場所に燠を埋めたようで、その上を豚足のゼラチン質のような厚く腫れた皮膚が覆い、血流の流れにあわせて痛みの呼吸を起こしていた。

(テロリストたちがやってきては手足を抑え、靴下をはぎとり、足の小指めがけて砲丸を投げつける)

 

そしてその直感は、襲撃した男たちを古義人がいったん懐かしみさえした、ということと繋がっている。

 

若い芸術家たちにとってポジティブな励ましだ

 

 

千樫はそれほど傲慢でもないけれど、日本の女の平均的なつつましさからは確信をこめてはみ出す人格だ。

 

 

一時間、二時間、キスだけで、頭も身体全体も欲望に熱くなっている。きみの言い方でなら、自分の性が久しぶりに「活性化」している!娘の、半ば開いた唇の左端に指を入れる。唾に濡れて輝く歯が、指を咬む。その間にも、唇の右端からキスしている。こちらも唇を半ば開いて、下を動かして。ところが急に頭をのけぞらせてね、運動していたように紅潮した顔で、娘がいう。笑いながら・・・

ーこれはダメ、色気がありすぎる!

 

 

それからは、陰毛のへりにふれることがルーティンになる。いったん克ちとった陣地は、奪い返されないから。しかし、さらに下方へ進む指は決して許されない。こちらを傷つけぬ、明快な優しさの拒否。地形を測量するように、範囲が確定されている。

 

 

キスをするだけのことが、なぜこれだけ豊かで、複雑で、自分としては使いたくない言葉だけれども、奥が深いと感じられるんだろう?

 

あなたとセックスはできないと知っているから、キスがどこまでものぼりつめてゆくんです。

 

 

 

 

 

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『文学の淵を渡る(大江健三郎×古井由吉)』

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先生は聖書の同じところに即して語られました。「娼婦と結婚する」という言葉がありますでしょう。僕たちキリスト教の外側の人間は、「娼婦と結婚する」という言葉を見ると、まあ比喩として考えます。ところが、門脇神父のようなキリスト教の専門家は、それをそのとおりに読み取られるんですね。

 

 

日本の小説の中で、どちらかというと私小説系で、主人公が自分のことも思えなくなる、ましてや他人のこととか風景のことなどは見るゆとりもない、そんな真っ暗なところまで自分を追い込んでがんじがらめにしておいてから、いきなり非常にいい風景描写が出てくることがある

僕はああいうのを読むと、これは死者の目じゃないかと思うんです。死んでいる人間の目に映る世界。

 

 

例えば「花」さんが話を聞いてもらえると知った後に華やいで、色気が出てきます。立ち居振る舞いから声まで違ってくる。これは一種の情交です。こういう微妙なところは、日本の短編の高い水準をあらわすんだけど、弱みでもあるのかもしれません。

 

 

明治の人たちの教養の背景には、いうまでもなく漢文があります。

 

 

確かに小説を書く上で、のぞきをする人間のアリバイも示しているところがあまり尊敬できないわけです。例えば、こういう一行がある。「後の光景を、私は目撃しなかった。全然見なかったわけではないが、ほとんど見なかった。」この小説には大きい問題が提出されている。

 

 

僕も、自然主義私小説はまた違うものなのではないかと思います。明治の自然主義文学の<わたくし>は、他者を含んでる。ところが大正に入るとだんだんラディカルになってくるんです。<わたくし>が縮まってくる。

 

 

大江 私は、古井さんの書かれた「こころ」解説が好きなんです。特に最後の段落。

「無用の先入観を押しつけることになってもいけないので、この辺で筆を置くことにして、最後に、これほどまでに凄惨な内容を持つ物語がどうしてこのような、人の耳に懐かしいような口調で語られるのだろう。むしろ乾いた文章であるはずなので、悲哀の情の纏綿たる感じすらともなう。挽歌の語り口ではないか、と解説者は思っている。おそらく、近代人の孤立のきわみから、おのれを自決に追い込むだけの、真面目の力をまだのこしていた世代への。

 

 

「こころ」のみならず、漱石は自決、自殺する人間を何種類も書いている。私はそれがとても大切なことなんじゃないかと思うんです。漱石は、自殺してしまわざるをえないところに追い込まれていく人間を、深い共感を秘めながら追いかけていた代表的な小説家、というのが私の印象なんです。

 

 

 

私も大江と同じである。

最後のところで、人間の理性を信じてはいない。

 

 

 

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『anone #6』

高度資本主義国家で、偽札づくりっていうファンタジー。

不適かつ大胆な役やらせたら傑出の、瑛太の良さ出てきた。

 

「ぼく、観たことあるんですよ。完璧な偽札を..」 

 

 

「偽札に、被害者はいません」 

 

 

「少し古いくらいが美味しいのよ」

 

 

 

 

『Mother #2-11』

 

#3

「フフフフ、うっかりさんだね」

「そう。うっかりさんなんです」

 

#8

奈緒「道木れなさんの、幸せを願いします」

 

#9

籐子「何よりそれを先に伝えてあげなきゃいけなかった。

   よくつぐみちゃんを助けてあげたわね」

 

鈴原家の女の結束。うっかりさんも入れて、女六人の記念写真。

 

 

「幸せって、誰かを大切に思えることでしょ」 

 

 

「つぐみも行くよ」

「お母さん、なんで黙ってるの??」

 

#10

奈緒の母同士の会話

「長いような、、短いような...。 色々あった」

 

 

『Mother #1』

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芦田愛菜ちゃん可愛い過ぎる...

 

「嫌いなもののことを考えちゃダメなの。好きなもののことをずっと考えるの」 

 

 

「いつきちゃん聞いて。わたし、あなたを誘拐しようと思う」

 

 

わたしあなたのお母さんになろうと思う。

あなたと二人で生きていこうと思う。

 

 

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あなたは捨てられたんじゃないっ。

あなたが捨てるの。

 

 

 

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『デヴィッド・レターマン 〜今日のゲストは大スター〜』

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一回目のゲストは、第44代アメリカ合衆国大統領バラク・オバマ

なんてユーモアがある人なんだ。

こんな人が国のトップだなんて、やはりアメリカは恵まれていた。

 

数分間、彼の話しているのを聞いているだけで、優れた知性を感じた。

そして彼の話に、勇気が出た自分がいた。

 

 

「実に公正で熱心で情熱的だ。

 あれほどの人物は見たことがない」 

 

 

「不公平だ! 」

 

 

「ただ暗闇で膝を抱えてた?」 

 

 

「二〇年後に子どもから言われるだろう。問題だと知りながら、放置した」 

 

好きな言葉がある。「子どもを持つのを、身体の外心臓を持つようなものだ」 

 

上の娘は何か書く僕のところに持ってきて、いますぐ読んで意見を聞かせて。

 

 

 

 

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『anone #5』

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www.ntv.co.jp

 

第5話。亜乃音の家で家族のように過ごす四人。

カルテットの四人のように。

 

夫の家に入った時の、るい子(小林聡美)の扱われ方は、見ているのが辛い。

親に対する敬意も優しさもない息子。義母の甘さが孫の成長を疎外する。

 

 

理市「今日ここにお邪魔したのは、皆さんにこの偽札の製造に協力してもらうためです」

 

 

 

舵「できれば人に褒められたいです」

 

 

 

亜乃音「生きなくたっていいじゃない。暮らせば。暮らしましょうよ」

 

 

 

ハリカ「生きてても死んでても、好きな方と一緒にいればいいのに」

 

 

 

るい子「生きてる子どもに愛されないから、死んだ子どもを愛してるんです」