ここがパンチライン!(本とか映画、ときどき新聞)

物語で大事なのはあらすじではない。キャラクターやストーリーテリングでもない。ただ、そこで語られている言葉とそのリアリティこそが重要なんだ!時代の価値観やその人生のリアリティを端緒端緒で表現する言葉たち。そんな言葉に今日も会いたい。

小説 

『濹東綺譚(永井荷風)』

荷風荷風っと、日々の記録である断腸亭日乗よりもこちらっの方がこの人のしょーもなさが感じ取れる(私は永井荷風のことを面白い人だとは思うが、昨今の巷の評価のように“粋”だ“洒脱”な江戸人だと云って、いたづらには称揚したくはない)。 あと、木村荘八の…

『憂国(三島由紀夫)』

心中、それが一番美しいと三島は云った。 おそらく現代人には分からない感覚だろう。 「死んではダメだ。自死は罪深い、ましてや誰かを巻き添えに死ぬなんて愚かだ」まっとうな現代人はそう言うだろう。 しかし、それは平和な時代を生きているわたしたちの標…

『はっとする1行 出会いたい』井上荒野、角田光代、川上未映子(7月31日付 朝日新聞)』

三人の作家の「読んだ小説の魅力を逃さないために」。 さすが、みな第一線の作家。 言葉が有り体でなく、実感もちゃんとこもったものだ。 角田さんも学生時代の自分と重ねて「20歳くらいの頃は読んでいるものが限られているから、小説とはこんなものだと思っ…

『マチネの終わりに(平野啓一郎)』

恥ずかしながら、平野作品も初めてだった。というのも、いたづらに難解で高尚文学の印象があったから。そういうものは古典に任せようという態度でいたのだ。 作家エージェンシー コルクの佐渡島さんらの仕事(平野担当?)ということで、これはきっと大した…

『ジニのパズル(崔実 チェ・シル)』

会社の先輩と「勝手に芥川賞選考会」というものを実施した。 根津のモダン純喫茶「カヤバ」にて(本物は築地の新喜楽)。 それぞれに候補作を読み込み、採点、批評していった。 体裁や文章や小説としての上手さでは低い得点だったと思う。 しかし、候補作の…

『美しい距離(山崎ナオコーラ)』

「貫禄」という言葉がふさわしいのだろうか。 候補作品の中では(やはり)一番上手いと思った。 だって5回目のノミネート。いいかげんなんとかしてくれといった具合だろうか。5回目ともなると、いちいち版元の編集担当と待ってもいないと思う。残念会とい…

『あひる(今村夏子)』

第155回(16年夏 7月19日決定) 芥川賞候補作。 「勝手に芥川賞選考会」での講評と、ここ(ブログ)での”いい悪い”はもちろん判断基準とそのレベルが異なる。「勝手に選考会」の3人の選考委員のうち、この作品に×をつけた委員は2人いた。彼らは端的に「…

『短冊流し(高橋弘希)』

第155回(16年夏 7月19日決定) 芥川賞候補作。 会社の先輩から勝手に「芥川賞選考会」をやると言って社内便で送られてきたので読む。図らずもナオコーラの同じ候補作品と同じ場面や状況の設定があった。それも時代か。 子どもの不調から始まる暗くて短い…

『鍵のかかる部屋(三島由紀夫)』

怪物 罪というものの謙虚な性質を人は容易に許すが、秘密というものの尊大な性質を人は許さない。 弘子のあけすけな欲望は、人が本心を隠してものを言う時のような誇張された闊達さで言われたからである。 それが不条理な判断を迫るのである。この嬰児は私た…

『伯爵夫人(蓮實重彦)』

15上の先輩から、ある日、社内便で新潮 四月号が回ってきた。 巻頭の小説にふせんがしてあり、面白いから読めという。 読むとぶったまげた。間違いなく、今年一番、面白くインパクトがあった。 後日、新聞でこれが三島賞エントリーしたと聞く。 受賞は間違…

『勝手にふるえてろ(綿矢りさ)』

はじまりの一文はこう。 とどきますか、とどきません。 いつのまにか致すときは鳴らすのがマナーになった音姫、おそらく日本の女子トイレでのみ起きている不思議な現象。 しかしいまや音姫はマナー化して、鳴らさないとむしろまわりに聞かせたい変態かと思わ…

『金閣寺(三島由紀夫)』

幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。 さて、若い英雄は、その崇拝者たちよりも、よけい私のほうを気にしていた。私だけが威風になびかぬように見え、そう思うことが彼の誇りを傷つけた。 それでもなお、私が関与し、参加したという確かな感じが消…

『私の消滅(中村文則/文学界6月号)』

(文藝春秋ではなく、文学界の巻頭。相も変わらず、物語の向かうのは、徹底的に不快な方向性) 父が母を叩く音が続く。母の短い悲鳴。私はドアの前でただ立っていた。銀のドアノブが、暗がりの中でぼんやり光って見える。ドアは、酷く薄く頼りなかった。開け…

『コンビニ人間(村田沙耶香/文学界6月号)』

村田沙耶香の小説は初めてだった。 芥川賞候補作品が発表される前に読んだので、同賞選考のスタンスでは読まなかった。 業界的には、いま一番取らせたい人なんだろうが、キャラクター造詣や世界観にいささかエンタメ感が滲む(例えるなら、読後感が”世にも奇…

『暁の寺(三島由紀夫)』

豊穣の海 の三作目。 本多の別荘 本を取り去った突き当たりの壁には小さな穴が穿たれている。 清顕と勲については、かれらの人生がそういう水晶のような結晶を結ぶのに、いささかの力を貸したという自負が本多にはあった。 (いまや金持ちである本多の性癖 …

『アンナ・カレーニナ 下 (トルストイ)』

ドリイは反駁しなかった。彼女は急に、自分がアンナとはもうあまりに遠く離れてしまったのを直感し、ふたりのあいだにはもうけっして意見の一致することのない、したがって口に出さないほうがいいような疑問が立ちはだかっているのを感じたのであった。 子供…

『アンナ・カレーニナ 中 (トルストイ)』

(中巻では、リョーヴィンの農業否、労働を基にした人生哲学の開陳を、アンナは夫との離別、およびこの恋が本当の愛なのかの猜疑と葛藤を、カレーニンは不得意な感情生活と向き合い、次第に冷めていく妻への愛を語り。この選択は正しかったのか、私を彼を幸…

『アンナ・カレーニナ 上 (トルストイ)』

幸福な家庭はすべてお互いに似通ったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。 オブロンスキー家ではなにもかも混乱してしまっていた。 キチイはヴロンスキーがワルツに誘うのを待っていたが、ヴロンスキーは誘わなかっ…

『鍵のかかった部屋(P・オースター)』

オースター作品の中で一番好きな小説だ。 NY三部作の一つだというが、ストーリーテリングが洗練されていて、 内面ミステリの教科書のように感じられる(もちろん教科書テキストのように退屈で凡庸なものではない)。 書き出しはこうだ。 いまにして思えばい…

『文章讀本(谷崎潤一郎)』

(駿河台下の角、古い雑居ビル) 口語文といえども、文章の音楽的効果と視覚効果とを全然無視してよいはずはありません。 大人は小児ほど無心になれないなれないものですから、とかく何事にも理窟を云う、地道に練習しようとしないで、理論で早く覚えようと…

『巨怪伝 〜正力松太郎と影武者たちの一世紀〜(上)』

59年6月25日に行われた、天覧試合の回想からはじまる。 天覧試合は全生涯を賭けた最後の夢。 遡る三十六年前の大正十二年、警視庁警務部長だった勝利機が、テロリストによる摂政宮の狙撃、いわゆる虎ノ門事件の警護責任をとって免官に追い込まれていた。 正…

『命売ります(三島由紀夫)』

元々68年にプレイボーイ上で連載していたものが、版元が新装した帯をきっかけに昨年売れた三島作品。 「三島由紀夫」という名前と、「極上のエンターテイメント」という売り言葉の掛け合わせでみんな買わされたんだろう。 三島由紀夫の優れた小説を知って…

『いやな感じ(高見順)』

売春宿の女にホレそうで嫌だ。 初恋だ。身請けしよう。みたいな冒頭シーン。 火の玉みたいな向こう見ずな男がテロリストとして、女に惚れっぽいが、身を立てようとする。 基本的には、女郎屋とか淫売屋が、生活の中にある文化。 戦争と、政治と、血があるの…

『淵の王(舞城王太郎)』

舞城作品において、映画でいうと予告編に使われそうなやヴァイシーンはサイズが崩れる。言葉も崩れて、どがががががががががががあああみたいな文字列を見ると、ゲシュタルト崩壊的感覚を抱かされて気持ち悪くなる。 この作品のクライマックスシーンに、ガン…

『地図と領土(M=ウェルベック)』

写真家のち画家、ジェド。 芸術と女性との別れ。 友人であり、作家ウェルベックの死。 そして、愛への、友人への、父の生、自らの人生への諦め。 沈黙が続いていたが、父がそれを破りたがっている様子はまったくなかった。 こういう家族のあいだの会話という…

『悲しみのイレーヌ(ピエール・ルメートル)』

主人公はカミーユ・ヴェルーヴェン、司法警察の中年警部。 過去の犯罪小説になぞらえられた殺しの数々。 漏れる捜査情報、新聞紙面化される捜査の進展。 忍び寄る悲劇の予感。 内部の疑心暗鬼と、捜査チーム内の裏切り。 序盤から、妻の妊娠が不吉の暗示とし…

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(村上春樹)』

どんな映画でも本でも、個人がパッケージにアクセスしやすい時代になった。 録画機に何本もの映画や映像を貯め、amazonで小説が1円で売りに出されている。 いつでも安く視られるというその意識環境は、文芸や映画の旬というものを失わせている。作られて間も…

『ダンス・ダンス・ダンス(下)』

三人の消えた娼婦と一人の俳優と三人の芸術家と一人の美少女と神経症的なホテルのフロント係。 (女房に出て行かれて、北海道のホテルを訪れたくて、受付の女性と出会って訴えかけられるものがあって、ホテルに泊まっていた少女の東京帰り付き添いを託されて…

『ダンス・ダンス・ダンス(上)』

学生の頃から、読むのは何回目か。 さすがに、ロレックス、港区、メルセデス、経費、高度資本主義社会、、そういったシミュラークル的名詞に古びた印象を受けた。 そりゃそうだ。古びなきゃおかしい。30年も前に書かれたの小説なのだ。 自分に対するこの作…

『わたしたちが孤児だったころ(カズオイシグロ)』

こんなにも明白はタイトルなので、説明されないと(あるいはしっかり予測を立てないと)そのタイトルが持ってくる意味がわからない。ましてやこの人の小説なら、何かがあるのだ。 彼の小説は、「人間がもっている幼少期の記憶の曖昧さ」に根ざしている。誰も…