ここがパンチライン!(本とか映画、そんでときどき新聞の)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『遠い山なみの光』カズオイシグロ

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カズオイシグロは、不条理の中に生きる人々の感じていることや息づかいを捉えるのがうまい。


悦子と佐智子との会話は、佐智子が自分本位に言いたいことを言うだけで、なかなか成立しているようには見えない。しかしやがて、悦子の言っている事も自分本位ではないかという気がしてくる。会話というものはそういうものじゃないか、とさえ思うようになるところまでいくと、二人のやり取りが醸し出したものはそれなりの役割を果たしたことになる。

また、戦前の父親・緒方さんと息子二郎との価値観の断絶は、読んでいて胸が痛い。戦争と民主化というものを、その溝にせずとも、前世記の人間との価値観の相克は容易に想像がつくのだ。

この人の小説の真骨頂は、物語の核となる事実は最後まで描かない、ということだ。

それは読者に、予感と伏線を意識させる。

序盤から、麻理子には死んだ女性が見えていて、その子供らしからぬ寄り付かなさや可愛げのなさ、奇矯さというものが悲劇に繋がることを我々は感じ取る。

それは世の中の真理を書いていようが、人間と人間のふれあいを描こうが、サスペンス作用が働いている。しかも私たちの現実の延長線上で。。

その時点で、物語としては半分成功であるような気がする。

 

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