ここがパンチライン!(本とか映画、そんでときどき新聞の)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

そこで戦うべきではないと思うのだ①

誰かを話をするときのこと。

自分が既に知っていることと、人がそれを知らないこととの間で戦うべきではない。

つまり、己の知識のひけらかしにするのではなく、それを知っていることでお互いが考えるためのどういう素材を提供できるのか。どういう選択肢を提供できるのか、ということを考えるべきではないか。そうして、思考というものを他者に対しても水平展開していくのが生産的ではないだろうか。