ここがパンチライン!(本とか映画、そんでときどき新聞の)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『暇と退屈の倫理学(国分功一郎)』

脳科学者の池谷さんが、書評でレコメンドしたいたんだと思う。

・好きなことが消費者の中で、自由に決定された欲望に基づいているなど到底言えない

・消費するとき、人は者に付与された観念や意味を消費するのである。消費されるためには物は記号にならなければならない。

・消費社会は人を終わらない記号のゲームへと導く。人はそこでせわしなく意味を追いかける。
cf)AAに参加し、ミーティング参加者たちの”苦しみ”に囲まれることで彼は安らぎを得たのだ

・自然状態について
ホッブスが「戦争状態」(人は平等・希望も平等→相互不信→疑心暗鬼)
ルソーは「惨めからはほど遠い状態」(人は善良→文明が疎外→生活が苦しい)

・消費は退屈を紛らわすために行われるが、同時に退屈を作り出してしまう

・若いヨーロッパの人たちは、何としてでも何かに苦しみたいという欲望を持っている

・そこには我慢がない。必要以上に与えられる。幸福を探求する必要はなく、ただ満足を持続しているだけ

フロイト「生物は一定の状態を保とうとするため、快とは興奮量の減少であり、不快とは興奮量の増大である」

・楽しめるようになるには訓練が必要だ

・一つの環世界にひたって何らかの対象にとりさわれれている(動物化する)