『暇と退屈の倫理学(国分功一郎)』
脳科学者の池谷さんが、書評でレコメンドしたいたんだと思う。
・好きなことが消費者の中で、自由に決定された欲望に基づいているなど到底言えない
・消費するとき、人は者に付与された観念や意味を消費するのである。消費されるためには物は記号にならなければならない。
・消費社会は人を終わらない記号のゲームへと導く。人はそこでせわしなく意味を追いかける。
cf)AAに参加し、ミーティング参加者たちの”苦しみ”に囲まれることで彼は安らぎを得たのだ
・自然状態について
ホッブスが「戦争状態」(人は平等・希望も平等→相互不信→疑心暗鬼)
ルソーは「惨めからはほど遠い状態」(人は善良→文明が疎外→生活が苦しい)
・消費は退屈を紛らわすために行われるが、同時に退屈を作り出してしまう
・若いヨーロッパの人たちは、何としてでも何かに苦しみたいという欲望を持っている
・そこには我慢がない。必要以上に与えられる。幸福を探求する必要はなく、ただ満足を持続しているだけ
・フロイト「生物は一定の状態を保とうとするため、快とは興奮量の減少であり、不快とは興奮量の増大である」
・楽しめるようになるには訓練が必要だ
・一つの環世界にひたって何らかの対象にとりさわれれている(動物化する)