『ファイトクラブ』
経堂のTSUTAYA冷やかしてたらまた観たくなって、土曜の朝から観る。
オープニングの映像は007並みのしゃれしゃれハイクオリティオープニングロール。脳内?ミクロ世界の投影。映画冒頭の疾走感抜群の音楽もカッコいい。
「さあ、今度は君が泣く番だ」
「僕は不眠症で2週間眠れないでいた」
「北欧家具の奴隷だった」
主人公は僕(エドワード・ノートン)、リコール査定師。
登場人物の名前が着いておらず、”僕”であることにポイントだ。
これが物語の演出上、あるトリックに使われている。
マーラ・シンガー。
「マーラは口の中に出来た傷に似ている」
飛行機で隣り合った、一回限りの友達。
シャンプーでナパーム弾は作れる。
「寝てる間にペニスを切られて、走る車の窓から捨てられるよりマシだ」
”持ってる物が自分を束縛する”
パートで映画のフィルム師。ファミリーものに1コマのポルノをぶちこむ。
僕たちは物の見方が変わった。
マーラからの電話で話しているシーン、奥の部屋でヌンチャクの練習をするタイラー。
石けんづくりは、まず脂肪の生成!
エンディングの秀逸さ。自らの口からピストルを撃ち込んだ主人公が、あんたのイカれた趣味に付き合ってられないわ、と言い放つ彼女の手を握り、金融街のビルが爆破されてた倒れているのを見ている。そんなエンディング。
堕落した物質主義(消費主義)に対する反感と嫌悪。恨みは物質を生み、消費をけしかける企業、金融システムに向かう。人々の怒りを解放し、肉体による衝突を欲する。