『堕落論・日本文化私感(坂口安吾:講談社文芸文庫)』
終戦記念日の前日14日、千鳥ヶ淵戦没者墓苑での追悼祈祷に参加し、始まりを待つ苑内のベンチで堕落論を読んだ。
堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。
生きよ堕ちよ
竹竿を振り回す男よ、君はただ常に笑われてい給え。決して見物に向かって、「君たちの心に聞いてみろ!」と叫んではならない。「笑い」のねうちを安く見積もり給うな。 (ピエロ伝道者)
<京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統は微動もしない>
日本文化の伝統という決まったものがあるわけではなく、今を生きる人によって変わりつづける
無自覚に前提としている規範やシステムに依存するのではなく、そこから引きはがされてみる、すなわち堕ちてみる
我が国の古典文学には、文学本来の面目として、現実を有りの儘に写実することを忌む風があった。ある角度を通して、写実以上に現実を高揚しなければ文学とは呼ばない習慣になっている。(FARCEにて)
美しく見せるための一行があってはならぬ。美は、特に美を意識して成された所からは生まれて来ない。〜(中略)〜書く必要のあること、ただ必要であり〜。
問題は、汝の書こうとしたことが、真に必要なことであるか、ということだ。汝の生命と引き換えにしても、それを表現せずにはやみがたいところの汝自らの宝石であるか、どうか、ということだ。 〜(中略)〜空には飛行機がとび、海には鋼鉄が走り、高架線を電車が轟々と駈けて行く。我々の生活が健康である限り、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。我々の伝統も健康だ。〜(中略)〜
それが真実の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。(日本文化私感)
法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。
(日本文化私感)
僕の生活も文学も、散文ばかりになってしまった。(青春論)
◎武蔵の話を引き合いに(「文学も剣術と同様、青春である」の旨)
武蔵は、常に細心の用意をしている。
剣術は所詮「青春」のものだ。一か八かの絶対面で賭博している淪落の術であり、奇跡の術であった。
生きよ堕ちよ
元来日本人は最も憎悪心の少い又永続しない国民であり(堕落論)
天皇性自体は真理ではなく、又自然でもないが、そこに至る歴史的な発見や洞察に於て軽々しく否定しがたい深刻な意味を含んでおり
数人の親切をしりぞけて東京にふみとどまっていた。〜(中略)〜
予想し得ぬ新世界への不思議な再生。その好奇心は私の一生の最も新鮮なものであり、その奇怪な鮮度に対する代償としても東京にとどまることを賭ける必要がある
日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。 (≒ようやく日本人が人間になったのだ)
人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。
彼の知と理は奇妙な習性の中で合理化という遊戯にふけっているだけで、真実の人間、自我の探求というものは行われていない。〜(中略)〜
自殺という不誠実なものが誠意あるものと思い、離婚という誠意ある行為を不誠実と思い、このナンセンスな錯覚を全然疑ることがなかった。(デカダン文学論)
天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしがなかった。
(続堕落論)
あの生活に妙な落ち着きと決別しがたい愛情を感じだしていた人間も少なくなかった筈で〜(中略)〜私の近所のオカミサンは爆撃のない日は退屈ねと井戸端会議でふともらして皆に笑われてごまかしたが、笑った方も案外本音はそうなのだと私は思った。(続堕落論)
たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。
嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!
(続堕落論)
堕落すべき時には、まっとうに、まっさかさまに堕ちねばならぬ。道義頽廃、混乱せよ。血を流し、毒にまみれよ。(続堕落論)
肉体は軽蔑しない方がいい。(恋愛論)
いまだに特定の尊厳を崇拝する(生涯大事にする)人たちは、何か大きなもの(物語)にすがりたい弱い人たちなのだろう。
安吾に現代の「いじめ問題」を語らせたら何と答えるだろうか。
こういうおっさんに会って話をしてみたい。