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ここがパンチライン!(本とか映画、そんでときどき新聞の)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『永続敗戦論(白井聡)』

政治  自己を更新してく 

初読後、2年と経てず、再読。

本棚の背表紙を見て、あれ?「永続敗戦論」ってどうゆうこと言ってたんだったっけな?と思ったのがきっかけ。

 

日本人の歴史的無知は、無自覚であることが元凶だと思って。

いまがどういう状況なのか、そのことに無自覚なので、無思慮で無知で、無思考だから無理解である。無自覚と無知は無限のループを描く。

自ら問うこともなく、いたずらに平和を享受していた己への、自戒の意味もこめて。

 


東京裁判において、「別にそれを望んだわけではなくどちらかというと内心反対していたのだが、何となく戦争に入っていかざるをえなくなったのだ」

 

現在の日本は、民主主義も、平和も、繁栄も、全て戦後にその起源を持ち、真正さを負っている。戦後にしがみつくことは、すなわち現状への満足の表現であった。長く改憲を押し進めることを政治的にむずかしくしてきた憲法にたいする広範な支持についても、おなじことがいえよう。多くの日本人が「平和憲法」を経済的繁栄に結びつけて考えており、自分たちの生きる時代を名目上「戦後」と呼ぶことに不満がなかった(キャロル・グラック

 

以上から、本書が取り組みのは、「戦後」を認識の上で終わらせることである。 

 

純然たる「敗戦」を「終戦」と呼び換えるという欺瞞によって戦後日本のレジームの根本が成り立っていると言っても過言ではない。

 

 

最低でも県外」と当初は宣言しながら、最終的には「沖縄に米軍基地があることによる総合的な抑止力を確信するに至った」

 

朝鮮戦争が終わってみると、それぞれ60万人の兵力を擁し、途方もなく膨れ上がった軍事組織を抱えてしまった。そして、その兄弟な治安維持能力を発揮して労働運動や左翼を鎮圧した。

 

敗戦による罰を二重三重に逃れてきた戦後日本。

第一次大戦後のドイツに対する戦後処理の失敗の反省の上に立った寛大な賠償

一部の軍事指導者に限られた戦争責任追及

比較的速やかな経済再建とそれに引き続いた驚異的な成長

沖縄の要塞化

 

(言い換えアリ)永続敗戦それは、

敗戦の帰結としての、政治・経済・軍事的な意味での直接的対米従属構造、その一方で、敗戦そのものを認識において巧みに隠蔽する(否認する)。

 

国内およびアジアに対しては敗戦を否認してみせることによって自らの「信念」を満足させながら、自分たちの勢力を容認し支えてくれる米国に対しては卑屈な臣従を続ける

 

国家の領土を決定する最終審級は暴力である

 

国家なるものは決して本質的に道徳的ではありえない、、、、その本性からして悪をはらみ、他国や他国民を手段化するものである以上、その政策が進歩なり正義なりを根本的に条件づけることなろあり得ない。

 

米国による戦後対日政策の善し悪しを道徳的見地から論じること自体が無意味なのであるーーーーーそれは米国の国益追求と国内事情によって徹頭徹尾規定されていた。

 

親米右派は大好きなアメリカからの貰い物をひどく嫌っており、反米左派は珍しくこの点だけについてはメイドインUSAを愛してやまない。

 

第二次安倍内閣で内閣府参与に任命された谷内正太郎に至っては、米日の関係を「騎士と馬」になぞらえている。ーーーー「アメリカを背中に乗せて走る馬になりたい」と考える人が倒錯者でないとすれば、こうした自己盲目化には当事者にとってより実際的な利点があることを指摘しておかなければならない。

 

江藤淳が夢想したのは、

日本が「押しつけ憲法」を斥けることによって交戦権を回復し、それによって本来的な主権国家たることを通じて米国と「対等な」関係に立つことであった。

 

偶然享受している地政学的余裕に無自覚に依拠しながら、本来ならば日本がとる可能性のあった政治体制を「非民主主義的」とみなす視線の傲慢さである。

→まさに自分自身の認識としても、幼少期から今に至るまで、韓国の軍事政権が自分が生まれるくらいまで存続していたことを野蛮で未解明な国だと哀れむ態度にあったことを思い出す。

 

原爆を落とされたことについて「恥ずかしい」とどうやら思っていない

(可哀想な自分たち、可哀想なおじいちゃんおばあちゃん、と思っているのではないか)

 

今日、永続敗戦レジームの中核を担っている面々は、もはや屈従していることを自覚できないほど、敗戦を内面化している。