ここがパンチライン!(本とか映画、時々 新聞)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『わたしたちが孤児だったころ(カズオイシグロ)』

こんなにも明白はタイトルなので、説明されないと(あるいはしっかり予測を立てないと)そのタイトルが持ってくる意味がわからない。ましてやこの人の小説なら、何かがあるのだ。

 

彼の小説は、「人間がもっている幼少期の記憶の曖昧さ」に根ざしている。誰もが、記憶や過去を作り替え(ときには第三者によって矯正され)、あるいは変えざるをえないほど大きな出来事に出会い、更新し続けて生きているのである。


自分の親がやっていた仕事、社会や地域との関わり方、小さい頃自分が接していた人たちの本当の(子供には見えていない)役割などは、最初から描かれないのである。それはそのシーンでどこまで出していいのか計算されて、コントロールされている。

ああ、自分たち子供に対する面倒見がいいし、すごいと思っていたこの人は大人の世界ではあまり重用視されていないんだな」とか「少しもオーラとか特別なものを感じないこんな人が実力者なんだ。馬鹿げてるな」とか、誰もに思ったことがあるはずだ。

 

かつて探偵に憧れていた現探偵である主人公・バンクス

サラ・ヘミングスとの運命的にして過剰な言及。

幼なじみアキラと遊んだ記憶。

ドーチェスターホテルでのチェンバレン大佐との再会。

クン警部。

上海租界、アヘン貿易反対運動、社交界、両親のいさかい(信条的確執)、

幼少期と青年期の入れ子構造のなかでの読者の錯綜。

 

明らかに安全な話題だと彼が思っているわたしたちのイギリスへの旅のことに話を戻した。

覚えてもいないことを覚えている振りもした。

わたしはふと、自分がいらいらしているのに気づいた。

 

思い込みが強そうな若い女性

 

日本との戦争が始まったときに警察署で、「わたしはその家に行きたい」「電話を貸してください」「夫人を待たせてるんですよ!?」という、ほとんど不条理なまでの身勝手さ。この人の作中人物にはしばしばこういう狂気があるが、そこに違和感を抱かせない世界観と物語醸成が腕なのだ。

 

戦場でのアキラとの再会

そして、フィリップおじさんからの事実の告白。

「われわれは本当にうぶだったんだよ」

「お母さんは文字通りかっとなって奴をたたいてしまったんだよ」

「きみがイギリスで快適に暮らしてこられのは何のおかげかわかっただろう?」

 

登場人物は皆、幸せには暮らしていない。

彼の作品の特徴である。

 

 

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