ここがパンチライン!(本とか映画、そんでときどき新聞の)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『愛情生活(荒木陽子)』

物思いに沈んでいる表情が良い、と言ってくれた。私はその言葉にびっくりして、じっと彼を見詰めていたような気がする。

 その時までの私の世界は、きっと、原色だったろう。けれど、その原色は渋いニュアンスのある色に変わろうとしていた、一人の男の出現によって、季節がはっきりと区切られていくのを、秘かに自分心の中に感じていた。私、20歳。彼、27歳。冬の終わり頃だった。

 

 

夢の中にいる、そんな感覚で結婚生活のたゆまぬみずみずしさについて語ってくれる。それは情緒的であり、超没入的であり、同時に客観的である、つまりは傑出したエッセイだった。

太字にしたり、引用したい部分が多い。こんなエッセイは稀だ。

 

 

新婦のヌードがスライドに映し出され、それを見ていたおばあちゃんが卒倒

 

料理はその日の気分で作るのが一番素敵ではないだろうか

 

 

<俺の言うことを聞いてたら間違いないから>

 

 

「あ、笑わないで。さっきのムスーッとした表情の方がいい」

 

 

彼は私の中に眠っていた、私が大好きな私、を掘り起こしてくれた。

 

 

寝た女しか撮らない

撮影は前戯である

写真はその女と寝た報告に過ぎない

撮る撮られるの関係って男と女の関係なんですねえ。最初は未知の体験を恐れていながらも、突き進んでいくにつれて、貪欲に快感を貪り、没我の状態に深く深く沈んでいくことのできる我ら女性達は、なんと見境のない幸福な動物なのであります。

 

 

夫婦というのは、ツキアイである。

 

あー夫婦だなあ、とシミジミと感じてしまう時がある。

どんな時かというと、それは夫のすぐ後に自宅のトイレに入った時である。

 

何年一緒に暮らしていても、どこか他人行儀な所が残っていたりする。というより、そーゆー部分を全く失くしてしまった女に対する恐怖心がある、といった方がよいだろう

 

 

関係の中に入り込んでしまうより、二歩くらい離れた場所で、自分と相手との関わり合いの風景を楽しんでいたりするのが好きである。荒木という人もそーゆータイプではないだろうか。

 

「満足してるかい?」

「何に?」

「人生に」

 

 

夫婦といえども、旅行中ずーっと一緒というのはよくないと思う。相手への気遣いやらで疲れてくるし、お互いに興味の対象が違うのだから、好き勝手に行動する時間を作った方がよい。

 

 

 

 

 

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