ここがパンチライン!(本とか映画、ときどき新聞)

物語で大事なのはあらすじではない。キャラクターやストーリーテリングでもない。ただ、そこで語られている言葉とそのリアリティこそが重要なんだ!時代の価値観やその人生のリアリティを端緒端緒で表現する言葉たち。そんな言葉に今日も会いたい。

『ぼくらの仮説が世界を作る(佐渡島康平)』

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この12月の刊行の新刊だったし、旬な人なんで丸善でカゴに入れました。

ネット世界では、一目置かれてる人、という印象。

編集者という肩書き、灘→東大→講談社って、どうしたってこの部分のブランドも効いてると思う。糸井さんもそう安々と帯文を受ける人じゃない。しかもこんな若い編集者の。こりゃ、タダ者じゃないよ、きっと。

幼少期に南アフリカにいたとか?

 

 

日本のスポーツ産業が、欧米と比較して大きくならない理由のひとつは、「語る場所の不足」だとぼくは推測しています。

 

 

全ての作品はどのような文脈に置かれるかで価値が変わってしまいます。

 

 

知り合いの経営者がこんなことを言っていました。「自分が言ったアイデアについて、まわりの人間が全員『それはないでしょう』と反対したときこそ『このアイデアの素晴らしさに気付いているのは世界で自分だけだ!』と逆に興奮する」と。それを聞いてぼくも深くうなずきましたが、他の経営者も何人かが「自分も同じだ!」と賛成していました。

すぐに賛同者が出るようなアイデアは、新しいこと(アイデア ※ブログ筆者注)ではありません。「新しいことをやろう」と覚悟を決めているのなら、そういう態度でいることは大切だと、ぼくは自分に言い聞かせています。

 

 ドキッ!...。問われているのは覚悟ってことですね。いまの仕事における自分の態度だ。

 

ドラマにもなった『働きマン』という安野モヨコさんのヒット作は「働くこと」の意味を再定義しようとした作品です。連載開始前、一生懸命に働く人がかっこわるくて、プライベートを充実させて、そこそこ働くのがかっこいいとされている空気が社会にありました。そのような価値観へのアンチテーゼ、「必死にボロボロになるまで働く人はかっこいい」という働き方の再定義が、作品の裏のテーマです。

 

 

 

ある時、熱烈なジャニーズファンの彼女に、いったいジャニーズの何がそんなにいいんですか?」と聞いてみました。すると、

「メンバー同志の仲がいいのが、好きなんです」という答えが返ってきました。  〜〜中略〜〜  

「人は,強固な絆に、すごく惹かれるんだな」と気付きました。

〜ずっと同じ仲間と同じ仕事を続けて、互いにプライベートもすべて知っているような濃密な関係を見て「いいなあ」と憧れを感じて、好きになるんだろうなと思ったのです。

 

 

 

フジテレビの視聴率低迷は、「8チャンネルが地デジ化によって押されにくくなったから」ではないか?という仮説。「なんとなく」の、ひっきりなしのザッピングによって、前の方にあるチャンネルの方が格段に有利になっている。   〜〜中略〜〜   

選ぶ理由は、「なんとなく」。そのなんとなくの機会が一気に減ったのが一番の原因だというのが、僕の仮説です。   〜〜中略〜〜

 

ストップウォッチが壊れている可能性を一度も考えないで、フォームのせいにするから、どんどんひどい状況になってしまうのではないでしょうか。   〜〜中略〜〜    

 

コンテンツ業界を見渡していると、このように「仕組みのせいで能力を発揮することが阻まれているだけ」なのに、それが能力のせいだと思われているケースが多いように感じています。だからこそ宇宙人視点で冷静に考えてみることが大切なのです。

 

 

 

あらゆる「なんとなく」をスマホが奪っている

妻に何を食べたいか問われたときの夫の「なんでもいい」は、世の中のほとんどの人の本音でしょう。

 

 

映画は暇だから観に行くものではなく、「予定を立ててわざわざ観に行くもの」になっている

 

 

 

 

なぜ人は「練り込まれたプロの文章」よりも「友だちのくだらない投稿」のほうがおもしろいと思うのか?

 ある日ふと、「人って『おふくろの味はやっぱり美味しい』なんてことを言うな」とおもいました。なぜ、おふくろの味は美味しいのか?これは身近な人のSNS投稿と同じ理由なのではないか?  〜〜中略〜〜

つまり「美味しさ」というものは絶対値があるわけではなくて、「関係性」の中で決まるのではないか。

「面白さ」というのは<親近感×質の絶対値>の面積 だったのです

 

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「2:6:2の法則」

2割のすごく飲んでる人が、全体の8割を占めていて。その2割に対して、リーチしていけばいいんじゃないか

 

 

 

相手の何かが愛しいというよりも、その「相手といるときの自分」「相手によって引き出される分人」が好き、というのが愛なのではないか。心地いい自分、落ち着く自分を引き出してくれるから、その相手が愛おしく、それが人を愛するということだ。」

 と平野啓一郎が「分人主義」と言っている。

 

 

アランの「幸福論」で、悲観主義は気分、楽観主義は意志によるものだ。

気分に任せて生きている人は、皆悲しみにとらわれる。それだけではすまない。やがていらだち、怒りだす。本当を言えば、上機嫌など存在しないのだ。気分というのは性格に言えばいつも悪いものなのだ。だから幸福というものは、いつも意志と自己の克服によるものなのだ。

 

 

 

本心を口にしないことの悪影響は、非常に大きいのです。自分についてウソは、気付かないうちにそれがウソか本当かもわからなくなる。自分を慰めるために言っているのか、現実がそうなのか、区別がつかなくなります。これが怖いのです。  

しかも、人は「自分に対して甘い」生き物です。自分にウソをついていると、どんどん自分に甘くなります。

 

三田(紀房)さんが、「人が何かを好きになる理由は説明しないほうがいいよ」と教えてくれました。

たしかに、現実で何かを好きになったときに、その理由を説明できることは稀です。説明できないから、それを特別に好きなのです。なのに、ストーリーを作るときは、論理的な理由がないと、好きになってはいけないと思ってしまいがちです。好きになる理由を説明していると、そこに納得できない人はストーリーから離れてしまって、おもしろいところに到達する前に本を閉じてしまいます。

 

 

 どの苦労も楽しかったです。妥協をせず、努力できているときは楽しい。 

一方で、組織の論理であきらめないといけないときは、どれだけ楽であっても、楽しくはありません。 

  れには、またまたドキリとした。いま自分が感じていることそのものだ。組織の論理や旧来の考え方に阻まれて、新しい考えをハネつけられたとき、自分でも不思議なくらい簡単に諦められる。そんなラジカルな企画や提案が通ったら通ったで大変だし(コミットを要求されるし)、そもそも、そんなに遠くまで行けると思っていないのだ。

この会社とこの仕事に、今の自分の時間と労力の大部分を捧げようとはどうしても思えないのだ。現時点で。

  

 

 

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