ここがパンチライン!(本とか映画、そんでときどき新聞の)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『サブカル時評 宇野常寛(1月9日付朝日新聞)』

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昨年末から「北の国」からを観ている。

次の文化の下敷きになるような全盛期の優れた映像文化は今一度じっくると観ておいたほうがいい。そう思ったからだ。

この感覚は、この日の宇野氏のサブカル時評にも見てとれる。

 

大みそかに紅白歌合戦をぼんやりと視ていたときに氏は思ったという。

特に映像文化については、20世紀後半の思い出を温めるコミュニケーションが支配的に、それも全世界規模でなってきた、という実感だ。

 

それは、

戦後大衆音楽史のダイジェスト的なセットリストを組んで、老若男女がノスタルジーを共有する場に変貌し


ハリウッドの興行収入ランキングでは、20世紀後半を彩った有名大作の続編とリメイクが大きな位置を占めている。

 

もちろん、新しい想像力がないわけでない。

しかし新しい想像の下地は、確実に優れた前世紀の遺産の中にあるのは間違いないのだ。