『もう謝りたくないスネ夫(拡張する排外主義 -東島誠・白井聡 12/20付朝日新聞)』
東島誠氏は「江湖(こうこ、こうご)」の精神を語る。
”一つの場所に安住することを良しとせず、外の世界へと飛び出すフットワークの軽さ”を表す。国家権力にも縛られない、東アジア独自の「自由の概念」といってよいでしょう。
左方は、「永続敗戦論」で有名な白井聡氏。
「日本人は12歳の少年のようなものだ」と言ったのは、マッカーサーだ。
日本の戦後は敵国から一転、庇護者となった米国に付き従うことによって、平和と繁栄を享受する一方、アジア諸国との和解をなおざりにしてきました。多くの日本人の主観において、日本は戦争に「敗けた」のではなく、戦争は「終わった」ことになった。ただし、そうした感覚が持てたのは、冷戦構造と近隣諸国の発展が遅れていたから。
日本人の忘れやすさは、DNAに刷り込まれたものだ。
そのトラウマは戦中-戦後記憶に刻まれて、国民レベルで遺伝している。
意識して生きなければ、反省と学習ということが遂行出来ないのだ。
冷戦が崩壊し、日本の戦争責任を問う声が高まると、日本は被害者意識をこじらせていきます。
悪いのは日本だけじゃないのに、なぜ何度も謝らなければならないのかと。
国際社会は保育園ではありません。敗戦の意味を引き受けられず、自己正当化ばかりしていると、軽蔑されるだけです。
日本は戦後を通して、「大人」になりそこねてしまった。
一般的に、左派の思想とは「人間の理性を信じる」態度だ。
しかし、憲法改正法案については逆だ。
こいつらに任せておいたら危ない。
そう思うから、あんな人間たちにはいかなる武力の行使も認めたくないのだ。