ここがパンチライン!(本とか映画、ときどき新聞)

物語で大事なのはあらすじではない。キャラクターやストーリーテリングでもない。ただ、そこで語られている言葉とそのリアリティこそが重要なんだ!時代の価値観やその人生のリアリティを端緒端緒で表現する言葉たち。そんな言葉に今日も会いたい。

『アナ雪と天皇制 -高橋源一郎 2014年6月26日 朝日新聞』

f:id:design_your_life:20160126153920j:plain

 

中森明夫は、こう書いている。

「あらゆる女性の内にエルサは共存している。雪の女王とは何か?自らの能力を制御なく発揮する女のことだ。幼い頃、思い切り能力を発揮した女たちは、ある日、『そんなことは女の子らしくないからやめなさい』と禁止される。傷ついた彼女らは、自らの能力(魔力)を封印して、凡庸な少女アナとして生きるしかない。王子様を待つことだけを強いられる」 

 
その中で、中森は幾人からの、実在する「雪の女王」を思い浮かべる。

その一人が「雅子妃殿下」だ。彼女は「外務省の有能なキャリア官僚だった」が「皇太子妃となって、職業的能力は封じられ」「男子のお世継ぎを産むことばかりを期待され」「やがて心労で閉じ籠もること」になると記した上でテーマ曲『ありのままで』二触れながら皇太子妃が『ありのまま』生きられないような場所に未来があるとは思えない」と書いた。

 

 この原稿は、結局依頼主である「中央公論」から掲載を拒否された〜

 

上野千鶴子は、護憲でも改憲でもなく憲法を一から選び直す「選憲」の立場をとり、その際に天皇の条項を変えたい、とした。

象徴天皇制がある限り「日本は本当の民主主義国家とはいえ」ないからだ。いや、理由はそれだけではない。「人の一生を『籠の鳥』にするような、人権を無視した非人間的な制度の犠牲には、誰にもなってもらいたくない」からだ。

 

この二つの本からは、同じ視線が感じられる。

制度に内在している非人間的なものへの憤りと、ささやかな「声」を聞き取ろうとする熱意だ。

 

 そもそも女神であるアマテラスを始祖とする古代天皇制には、現在のそれとは正反対の「女性優位」ともいうべき思想が底流としてあった。

 

皇太子の移動のための交通規制で足止めを食った堀江貴文が「移動にヘリコプターを使えば」とツイートした。それに対して、皇室への愛が足りないと批判が殺到した。皇太子のことを何だと考えているのかという質問に、堀江は簡潔にこう答えた。

「人間」

いいこというね、ホリエモン