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ここがパンチライン!(本とか映画、そんでときどき新聞の)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『地図と領土(M=ウェルベック)』

小説  創作のヒント 

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写真家のち画家、ジェド。

芸術と女性との別れ。

友人であり、作家ウェルベックの死。

そして、愛への、友人への、父の生、自らの人生への諦め。

 

沈黙が続いていたが、父がそれを破りたがっている様子はまったくなかった。

 

 

こういう家族のあいだの会話という点では、女のほうが男より機転がきく。それは幾分、女たちのそもそもの特技といえるものだ。たとえ実際にはまだ子どもがいないとしても、潜在的には子どもが会話の地平に登場してくる。

 

ラテン民族の国々では、中年ないし高齢の男たちの会話のためには政治だけで十分である。下層階級ではしばしばスポーツが加わる。アングロサクソン的な価値観に強く影響された人たちの場合、政治はむしろ経済や金融にとってかわられる。補助的な話題として文学もありうるだろう。

 

 

オリーブの古木とぶどうの木がユニークな調和を見せています。

 

花とは昆虫の淫欲に委ねられた生殖器、地表を彩る色とりどりのヴァギナにほかならない。〜花の美しさは哀しいものである。なぜなら花はか弱く、死を逃れられないものだから。

 

 

ジュヌヴィエーヌ、彼女はマダガスカルの出身で、遺骸を墓から掘り出すという母国の奇妙な風習について話してくれたことがあった。死後一週間目に掘り出し、屍衣を取り払ってから、遺骸を家の食堂に置き、その前で食事をする。そしてまた埋葬するのだという。一ヶ月後、そして三ヶ月後にもまた同じようにする。〜確かそうやって7回繰り返すという話だった。最後は没後一周年で、それを過ぎると故人は完全に死者とみなされ、永遠の眠りにつくのである。

 

 

彼女は学資を稼ぐのに <春をひさいで>いた

 

大昔から呪われた仕事だというので、逆に神聖さすら帯びる。

 

ミシュランの地図と絵。

オルガとの出会い、幸福、悲しい空港。

 

クリシー大通りがあり、セックスショップやエロチックな下着ブティックが並んでいる。ジュヌヴィエーヴもオルガも、ときどき彼を連れてエロチックな衣装を買いに行くのを好んでいた。

 

パリの春はしばしば、単に冬の延長に過ぎないーー雨が続き、寒く、道はぬかるんで汚い。

 

昔から<娼婦たち>が芸術家に与えてきた<治外法権的特権>に浴したのだった。

 

(40歳を過ぎて、オルガと再び会ったとき親密さと続きはあれど、そこに情熱的な名残はなかった。あまりに淡白で、諦めに充たされている。穏やかな諦念、侘しい同情。そこにいるのは萎みゆく花を見つめている冷静な観察者である。)

 

後半はウェルベック殺しの捜査展開がある。

「意味のないものに意味を見出そうとすべきではない」。彼ははっきりを意識せずに、ウィトゲンシュタインの『論理哲学思考』の結論と同じことを口にしていたのである。<「わたしが語ることのできないもについて、わたしは沈黙を余儀なくされる」>

 

ーヨーロッパの産業時代の終焉、さらに一般的には人間のあらゆる産業の一時的で滅ぶべき性格をめぐるノスタルジックな瞑想としてとらえることができる。

 

苦痛と死の商品価値のほうが、快楽とセックスのそれを上まわってしまったのだ、 

 

最後のビデオではその映像は人類全体の消滅を象徴するかのように見える。写真は幾層にも重なった植物の茂みに沈んでいき、一瞬身をもがくかにみえるがやがて息の根を止められる。そしてすべては静かになり、あとには風に揺れる草のみが残る。植物は完全な勝利を収めたのだ。

 

 

みたいな、結果的にそういう小説。

 

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