読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ここがパンチライン!(本とか映画、そんでときどき新聞の)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

「まれ」がはまった罠 -サブカル時評(宇野常寛 2015年10月3日 朝日新聞)

f:id:design_your_life:20160214141455j:plain

そもそも「朝ドラ」は平成期に、「昭和の女の一代記」から「現代を生きる女性のロールモデル」が目立つようになっていったのだが、その結果、シリーズは過剰積載的に様々な社会的要請を抱え込むことになった。女性の社会進出を後押ししながらも、高齢視聴者の保守的な職業観や家族観に迎合せねばならず、こうした相反するニーズに応えようとした結果が「明るく元気でさわやかで」「教師や看護師など誰からも後ろ指さされない夢を持ち」「祖父母と伝統文化が大好きで」「そして恋には鈍感」なヒロインが「流行の職業」でそれなりに活躍しながらも、最終的には保守的な家庭を築き夫と地域振興に奉仕する、という八方美人的に無理のある展開が金太郎飴のように反復されることになった。

 

 

 

古美門弁護士は部下の弁護士の偽善性や甘さを指摘する際に「朝ドラのヒロイン」と罵倒するが

 

「まれ」は残念ながらこうした近作の知的格闘の成果を踏襲することなく、古美門が罵倒するような「朝ドラのヒロイン」が量産されていた10年前の「冗長な観光ビデオ」を半年演じる結果に終わってしまったのだ。