ここがパンチライン!(本とか映画、時々 新聞)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『文章讀本(谷崎潤一郎)』

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駿河台下の角、古い雑居ビル)

 

口語文といえども、文章の音楽的効果と視覚効果とを全然無視してよいはずはありません。

 

 

 

 

大人は小児ほど無心になれないなれないものですから、とかく何事にも理窟を云う、地道に練習しようとしないで、理論で早く覚えようとする

 

 

講釈をせずに、繰り返し繰り返し音読せしめる、或は暗唱せしめるという方法は、まことに気の長い、のろくさいやり方のようでありますが、実はこれが何より有効なのであります。

 

 

出来るだけ多く、そうして繰り返し読むことです。多く読むことも必要でありますが、 無闇に欲張って乱読をせず、一つものを繰り返し繰り返し、暗唱することが出来るくらいに読む。

 

 

偶然使った一つの言葉から、最初に考えていたプランとは違った風に物語の筋が歪曲して行く、と云うような事態すら生ずる

 

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(エレベーター使ってもいいけど、そうとうな年代もの。手動で開閉)

 

結局どんな言葉でも満足されないのでありましょう。ですから、それよりは、多少意味のぼんやりした言葉を使って、あとを読者の想像や理解に委ねた方が、賢明だということになります。

 

 

我々の国語には一つの見逃すことの出来ない特色があります。それは何かと申しますと、日本語は言葉の数が少なく、語彙が貧弱であるという欠点を有するにも拘らず、己を卑下し、人を敬う言い方だけは、実に驚くほど種類が豊富でありまして、どこの国の国語に比べましても。遥かに複雑な発達を遂げております。

 

 

現代の口語文が古典文に比べて品位に乏しく、優雅な味わいに欠けている重大な理由の一つは、この「間隙を置く」、「穴を開ける」と云うことを、当世の人たちがあえてなし得ないせいであります。彼らは文法的構造や論理の整頓ということに囚われ、叙述を理詰めに運ぼうとする、、、、現代の文章の書き方は、あまり読者に親切過ぎるようであります。実はもう少し不親切に書いて、あとを読者の理解力に一任した方が効果があるのでありますが、、、(含蓄について)

 

 

 

 

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