『戦争の記憶と和解』バレリー・ロズ@2016年2月10日付 朝日新聞
「和解は一見、究極の目的のように思えます。でも、状況次第では和解など不可能だし、常に和解など不可能だし、常に和解が必要とも限りません。重要なのはむしろ、和解が現実からいかにかけ離れているか知ることです」
過去が人々にとって重いだけに、紛争当事国同士の歩み寄りも慎重に進めなければなりません。大胆過ぎると市民がついてこない。現実から離れず、方法とタイミングを計る必要があります。
「かつての敵に歩み寄れるのは、ドゴールのように右派やナショナリストから信頼される人が多いのです」
ー例えば、安倍晋三首相はどうでしょうか。
「もし彼に意欲があれば、画期的な流れをつくれるかもしれません。日本の右派から信頼されていますから。安倍首相が静かな形で中国への歩み寄りを見せれば、国内のリベラルは評価し、右派も裏切り者とは見なさないでしょう。」
(ドイツとフランスとの歩み寄りについて)
ソ連という共通の敵が登場し、仏独が協力せざるを得なくなったのです。
北海道大学教授 遠藤乾 氏
ドイツは確かフランスと良好な関係を築きましたが、例えばギリシャとは和解が全然できていません。
〜 独仏はむしろ、総力戦ののちに和解が可能となった点で日米関係に近いのではないか。日中に似ているのは独仏よりも独ソ、独ロ関係でしょう。
日米関係になぞらえられるのは、帝国的な侵略・植民地支配を伴った点で、独仏関係より独ポーランド関係です。ドイツは冷戦下、長らくポーランドに対して強制労働への補償もしませんでした。
ドイツは確かに、イスラエルに誠実に謝罪し、関係を懸命に構築しました。一方で、虐殺や略奪を行ったギリシャとの和解には目を向けなかった。
この視点ですよ。
巷の国際外交観、政治史観がいかに一面的でバイアスがかったものであるか。
あるかもしれない可能性を提示してくれているという点で、朝日新聞は読むべき価値がある(誤報もあるので話は半分にしなければならないが)。
つまり、間違いもあるが、確かにユニークで面白い視点を持っている友人みたいな付き合い方をしたいと思っているこの新聞とは。