『他諺の空似 〜ことわざ人類学〜(米原万里)』
「ママッ、ママ!」出張先から帰宅するなり、娘が駆け寄ってきて、私がコートを脱ぐあいだも息継ぎするのを忘れてしゃべりまくる。
「昨日ママがお留守のあいだにね、パパったら綺麗なお姉さんを連れて来たの。それでね、リビングのソファでね、一緒に横になってスカートをまくりあげちゃったの。それで股の間にね・・」ここで娘は肺に溜めていた空気を使い切ったらしく、息を吸い込んだので抱きしめて言った。「そのお話の続きは、お父さんが帰って来たら話してくれる?」
父親が帰って来て皆が食卓につくと、「はるかちゃん、ママがきのう留守にしていたとき、どんなことがあったのか話してみてくれる」と言うと、娘は得意になってしゃべり始めた。
「・・パパったら、お姉さんの股の間にね、ほらパパが出張中にママがよく連れてくるオジさんの、ものを口にくわえてるでしょう。あれと同じものを突っ込んでたみたいなの」
内弁慶(=オンドリは自分の糞の上では勇敢だ)
「象は決して忘れない」という英語の諺
声高に戦争への可能性を示唆することだけが、戦争生活への入り口ではない怪しい。
ナチスのゲーリングさえ、労働者に向かって「ドイツは戦争は望んではいない。だが、欧州を戦火に巻き込もうとする者があれば、われわれはドイツの防衛のために立ち上がるだろう」とアジっている。