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ここがパンチライン!(本とか映画、そんでときどき新聞の)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『日本思想史ハンドブック(苅部直・片岡龍 著)』

思想・哲学 

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第二次世界大戦が始まって一年後に、英国でジョージ・オーウェルが発表したエッセイ、「右であれ左であれ、わが祖国」は、ドイツに対する戦争を支持しようと決めたのは、こういう意識が自分の心を貫いたからだと語っている。「私は心の底では愛国者なのであって、味方を妨碍したり裏切ったりはしないだろうし、戦争を支持するだろう、できれば自ら戦いもするだろう」。

 

福沢諭吉の文章には否定しがたい一種の快活さがある。それは、人々が暗黙の内に依存している権威、あるいは狡猾さや馴れ合いを容赦なく明るみに出し、タフで自信をもって努力する個人がそのような内輪の甘えを壊すことで期待し、社会に新しい展望をもたらそうとする基本的な構えがどの作品にも通底しているからである。

 

 

西洋への過剰な同化がアジアへの侮蔑と日本の帝国主義への加担を生んだのではないかという批判的な視点から福沢をとらえる見方は近年強まっている

 

『学問のすゝめ』には、「信の世界に偽許多く、疑いの世界に真理多し」という一節がある。ここには、権威や制度を疑い、自己と社会を冷静に分析する合理的批判精神を日本社会に定着させたいとする福沢の狙いが明らかに見える。