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ここがパンチライン!(本とか映画、そんでときどき新聞の)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『鍵のかかる部屋(三島由紀夫)』

小説 

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怪物

罪というものの謙虚な性質を人は容易に許すが、秘密というものの尊大な性質を人は許さない。 

 

弘子のあけすけな欲望は、人が本心を隠してものを言う時のような誇張された闊達さで言われたからである。

 

それが不条理な判断を迫るのである。この嬰児は私たち二人の間に生まれた子に相違ない、という判断を。

 

逸子も弘子も倦怠と死の誘いから完全に免かれ、安全な共感の中にいた。

 

 

 

鍵のかかる部屋

今夜はきっとあの女と寝る、という予感はたしかにある。

 

房子は彼の膝の上に乗っていた。子供のこういう小さい体には、肉体という観念的なものよりは、もっとよく纏った肉の実感がある。女を抱くとき、われわれは大抵、顔か乳房か局部か太腿かをバラバラに抱いているのだ。

 

「ねえキッスごっこしようよ」

と言った。一雄は避けるひまがなかった。小さな乾いた、すぼめた唇が飛んで来た。彼は接吻したあとでそれを避けた。それから大へん困惑した。勃起していたのだ。膝の上から房子を下ろそうとすると、むちゃくちゃに暴れた。ともかく下ろして、行儀よく長椅子に座らせた。房子は足をかわるがわる跳ね上げて怒っていた。

 

 

歌うたいにはみんな白痴的な素質がある。歌をうたうということは、何か内面的なものの凝固を妨げるのだろう。

 

 

出来心というものなからいくらもある。出来心の殺人というやつはいくらもある。しかし持続は狂気だ。房子に対する彼の感情は持続していた。憐憫や残酷さやいろんなふわふわしたものがまざり合い、そうしていつも房子の肉について考えた。

 

 

 

あかん。房子はこんなイメージや。

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