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ここがパンチライン!(本とか映画、そんでときどき新聞の)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『論壇時評 ”人との対話が「回路」をひらく” ー小熊英二氏(6月30日朝日新聞)』

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ある自民党元都議はこう言う。

「任期中にどういう議員活動をし、実績を残したか」は「次の選挙ではまったく関係ありません」。「では、何が大事なのか。地元の行事や冠婚葬祭に出席するかどうかなのです」。

 

 

他の先進国と違い、日本では学歴の低い人の方が、学歴が高い人より投票率が高かった。地域や組織の「縁」で投票する人は、低学歴の年配者に多いからだ。

 

 

データや知識を提供すれば、人間は政治に関心を持ち、自分の功利のために投票するはずだという論者もいる。だが現実の社会は、ゲーム理論のようには動いていないのだ。

 そもそも人は、あらかじめ関心がなければデータも理解しない。〜・〜「政治をかじってる人間」ほど「政治に無関心な人たちの感覚」を理解できてないという。政治の知識を「わかりやすく」解説するといったやり方は、「もともと政治に関心のある人にしか届かない」のだ。

 思い出してほしい。あなたが政治に関心をもった契機は何だろう。それは魅力的な先輩の姿や、友人の誘いなど、人間はデータよりも、人間に動かされるのだ。

 

そう考えるなら、知識やデータの提供以前に必要なものがある。それは関係の再構築だ。

 

 

 

あすを探る「財政・経済」(井手英策氏)

小田原市長の加藤憲一氏は、4月16日に起きた熊本地震の本震が熊本城に深刻な打撃を与えたことを知り、終末を挟んだ18日、物資以外の支援を検討するよう、全庁に指示を出した。豊富なボランティア経験から、交通の寸断が起きていない熊本の状況を察してのことだった。

同日の夜、観光課職員は、耐震補強がすみ、5月1日にリニューアルオープン予定である小田原城天守閣の入場料収入を全額寄付する案を固める。この案は経済部長、そして市長に届けられ、市長は即決、承認した。

 実現への壁は二つ。小田原城の料金収入は城の維持補修に使う。財政課は目的外支出を認めるだろうか。そして時間との戦い。議会軽視は論外だが、承認を待てば、決定は定例会のある6月になってしまう。

 財政課はムダを省くのが信条だが、すぐに県に連絡を取り、今回の目的外支出が正当であることを確認した。議員にはファクスで意見を求めた。反対の声はなかった。こうして市長の指示からわずか2日、20日に寄付の決定が報道発表された。

 縦割りの行政、硬直した政治、そして両者の対立を全国でみてきた私にとって、以上の決定は衝撃的でさえあった。小田原評定」が嘘のようなスピード感だったからだ

 

 

なぜこれほど迅速な決定が可能だったのか。それは市職員や議員の間に、「市民は寄付を受けて入れてくれる」という確信があったからだ。〜。

「税とは共感である」。そう痛感した。