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ここがパンチライン!(本とか映画、そんでときどき新聞の)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『マチネの終わりに(平野啓一郎)』

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恥ずかしながら、平野作品も初めてだった。というのも、いたづらに難解で高尚文学の印象があったから。そういうものは古典に任せようという態度でいたのだ。

 作家エージェンシー コルクの佐渡島さんらの仕事(平野担当?)ということで、これはきっと大した仕上がりに違いないと書店で手に取った。結果から言うと、本作の天才ギタリストの蒔野よろしく、「大衆に向かって着地した(吉本隆明)」ものすげー作品だなと思った。ちょうど村上春樹があの時期に作風を変え「ノルウェイの森」を超純愛作品として仕上げたように。本作も彼の代表作になることは間違いないだろう。

 折しも、勝手に芥川賞選考委員として選考会に臨む為の候補作に取りかかっていながらもこの本を一度読み始めてしまったため、芥川賞そっちのけで読みぼさってしまった。読者の意識を先へと急がせる駆動力ハンパじゃない(いわゆる”ページを繰る手が止まらない”というやつですね)。一気に読み通してしまいました。

 

「でも、わたしがよく遊んでた、その石だったんです。」

洋子は、皿を受け取りながら改めて言った。三谷は怪訝そうな顔をした。

「だけど、・・・わかってたら、対処のしようがありますけど、しょうがないですよ。危ない場所にあったんですか?」

「ああ、そうじゃないんです。わたしが言いたかったのは、ただ、子供の頃のわたしが、いちか祖母の命を奪うことになるその石で、何も知らなかったまま遊んでたっていう、そのこと自体なんです。」

「それは、・・・え、だけどそんなこと言ったら、この世界、お年寄りにとっては危険なものだらけなんだし。それで、自分を責めなくてもいいと思いますよ。」

「責めてるんじゃないです。責めようがないですから。そうではなくて、・・・」

 もっと簡単に伝わる話だと思っていたらしく、洋子は続けるべきかどうかを迷っていた。テーブルの残り半分では、 〜 中略 〜

 蒔野は、三谷と洋子のグラスに赤ワインを注ぎ、自分にも足すと、頃合を見て三谷に言った。

「洋子さんは、記憶のことを言ってるんじゃないかな。」

二人の眼差しが蒔野に集まった。

「お祖母様が、その石で亡くなってしまったんだから、子供の頃の記憶だって、もうそのままじゃないでしょう。どうしても頭の中では同じ一つの石になってしまう。そうすると、思い出すと辛いよ、やっぱり。」

洋子は、先ほどとは違った、静かな声でそう語る蒔野を、じっと見つめていた。そして、理解されたという喜びに瞳を輝かせた。

 きているとしばしば、心のひだにざらっとまとわりついたちょっとした些細なことがある。人はいちいちそのことを言葉にしないし、忙しさや周囲の喧噪にかまけてそんなことでいちいち立ち止まったりはしない。でも、もしそれが言葉に出来たときに、それを分かってくれる誰かがいるだろうか、胸に手を当ててみる。

もしその相手が、自分の大事な人であれば素晴らしいし、そうじゃなくても邪見にせずに、耳を傾けてくれる人がいるということは素敵なことだ。

ここではやはり、そんな個人的な記憶とか感慨についての吐露に、立ち止まれない人。立ち止まれる人がそれぞれいる。こういう場での「理解された、分かってもらえたはそのまま人間的に受け入れられた」としばしば同義である。

 

 

そうか、あの主題にはこんなポテンシャルがあったのかと気がつく。

 

 

「人は変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」 

 

 

相槌をつくのも嘘っぽくて辞めた。

この人の小説には嘘がないなーって思う。人間の心とその表現における差やバグが少ないのだ。小説家も様々だけれど、そういうこと出来る作家ってそんなにいないよね。

 

 

技量と評判ともに絶頂な芸術家が直面したスランプ

戦地赴任したジャーナリストが抱いたPTSD的苦悩

あの人があの時言ったあの言葉が忘れられない。

(死を意識した経験から、自らの人生や運命について真摯になった)

 

職業的、人生的大きな障壁にぶつかった時、傍らに誰がいるか

 

 

バグダッドのフィリップが

「いい歳して知的でない女と寝てしまうと、明け方、惨めな気分になるよ。ー 

 

 

「〜。米軍の増派一つ例に採っても、そもそもこの戦争は間違っているという現在までの問題と、こうなってしまった以上、どうすべきかという未来の問題との整理が、自分の中でもよくついてないの。」

これはよくありますな〜。全ての仕事に言えます。これまでどうだったか、これからどうすべきを整理すること。 しばしば、よく考えないで物を言うひとは(上席・管理職も含めて)混同しています。

 

 

なるほど、恋の効能は、人を謙虚にさせることだった。年齢とともに人が恋愛から遠ざかってしまうのは、愛したいという情熱の枯渇より、愛されるために自分に何が欠けているのかという、十代の頃ならば誰もが知っているあの澄んだ自意識の煩悶を鈍化させてしまうからである。

 美しくないから、快活でないから、自分は愛されないのだという孤独を、仕事や趣味といった取り柄は、そんなことはないと簡単に慰めてしまう。そうして人は、ただ、あの人に愛されるために美しくありたい、快活でありたいと切々と夢みることを忘れてしまう。しかし、あの人に値する存在でありたいと願わないとするなら、恋とは一体何だろうか。

 

 

どちらも、遥かに先走って、ほとんど相手と融け合う寸前にまで昂揚していた自分の言葉に追いつこうとして、しかし、その深刻さにも、様々な愛情の仄めかしにも、いきなり触れることは出来なかった。

 

 

「大した理由はないのよ。子供のこ頃からなりたかった職業でもないし。」

「そう。」

「全然。わたしは、自分が何になりたいのか、ずっとわからなかった。よくある話だけど。ジャーナリストって、そういう人間に向いてると思う。」

 

 

 

和気藹々と食事でもすることで、彼女は、誤ったかたちで結ばれかけている自分たちの関係を、一旦解いて、正しいかたちに結わえ直そうとしているのかもしれない。一人の友人として、これから夫となる男を紹介し、そうして一緒に、ここまで昂じてしまった感情の処理をしましょう、と。

 蒔野は、もし他人からそんな経験を聞かされたならば、それはそれで、美しいと感じるような気がした。若い頃には、考えもつかない理性的な解決方法だが、年齢相応の締念とは、その最初の足跡を、こんなふうにゆっくり踏み締めるようにして胸に残すことではあるまいか。

 

 

洋子はこの時、淫らであるということの、何かしら新しい定義に触れているような感じだった。常と異なるというだけでなく、どこか本質的に自分を見失い、自らを相手にすっかり明け渡してしまう喜び。ーその深みの底は知れず、むしろ洋子は、今こそ<ヴェニスに死す>症候群の官能の渦中に呑まれつつあるのかもしれなかった。

 二人は、自然と深まり行くことへの躊躇いから、却って長い、いつ尽きるともしれない口づけに浸った。

 

 

 

芸術の価値は、 カントの定義以来、<美しい beautiful>か<崇高 sublime>かのいずれかだったが、二十世紀後半以降、取り分け顕著に現代のネット社会では、それがそのまま、<カッコイイ cool>か<スゴイ awsome>かになっている。現代アートの中でも人気があるのは、やはりゲルハルト・リヒターのような<カッコイイ>作品か、アンドレアス・グルスキーのような<スゴイ>作品で、自分は、蒔野の音楽は美しいだけでなく、その両方を備えている点が強みだと思う。ただ、残念ながら、一般人からは、まだまだ遠い。ー

 

 

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Gerhard Richter Snow-White

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物語をままならぬ方向にした真相と顛末はままに。

文句なしに、いい収拾の仕方と終わり方だった。

 

ここ数年読んだ、「愛」について書かれた小説の中で一番の深くて面白かった!

実力あるな〜