ここがパンチライン!(本とか映画、時々 新聞)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

論壇時評:「まずい」報道 連帯で脱せ ー小熊英二氏(7月28日付 朝日新聞)』

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昨今の報道を、落語「目黒のさんま」に見立てる。

(以下、要約)

「どこからも文句が出ないように」と作られると、“脂と骨を全部抜いたような”報道になる。日本の報道に欠けているもの。それは「連帯」「独立」である。

 ジャーナリスト同士が連帯する仕組みがないので、ミスを犯すと、他の記者や他の新聞社から攻撃をあびる。彼らは連帯して権威と戦うよりも、それぞれが権威に頼ることを選びがちとなってしまう。つまり、連帯もないから独立もできない。

 

「仮に内閣や与党から不当な圧力がかかったのならば、また、番組のキャスティングにまで口をはさむ政治家が居たのならば、放送事業者は、その具体的な日時や圧力をかけた政治家名を堂々と報道すればよいのだ。『報道は事実をまげないですること』は放送法第四条に規定されており、そのことをもって政府は何の処分もできないからだ。」

 

高市早苗総務大臣の言葉である。

高市氏によると、氏の放送法答弁は歴代政権のそれを踏襲したものにすぎず、報道の萎縮は心外であるという。

 さあ、殿様はパンチの効いた料理をご所望だ。記者の皆さん、元気出せ。 

 

 

 最近、SNS上で流れたきた、「内閣によるマスコミ報道二対するクレーム慣行」について安倍首相が言及している動画を視た。安倍氏によると「マスコミも間違えることがある」ので、内閣と言えど首相と言えど「間違いを正すのは当然である」という態度だという。この本音かつあまりに素朴な見解。権力者のこういう物言いには本当に骨が折れるだろうな。

 

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 件の動画を探そうと思ったらこんなテロップ入りの動画ばかりだった。こういうの作る人、これが仕事なのかね。