ここがパンチライン!(本とか映画、時々 新聞)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『芸能人寛容論 -テレビのわだかまり-(武田砂鉄)』

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武田砂鉄 新刊。

この人の着眼点と連想はあまりに巧みで魅惑的だ。

観察と洞察に富み、ミクロとマクロを運動する。

その批評は、癖になるほど甘い。

 

 

「やっぱりEXILEと向き合えないアナタへ」

・強面のお兄さんたちなのだが、暴力の匂いがしない

・ざっくばらんなバラエティに出ればその確率百パーセントで持ち出されてきた「サングラスを外すと優しい顔をしている」

・余計なことを言わない、とにかく徹底的に一致団結を促す

・EXILE系統の集団は、ウケる時、何かと立上がって大げさに手を叩く。その笑いを共有するためなのか、メンバー同士でハイタッチすることが多い

・「世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない」とするアドラー哲学は、闇雲な団結でこんな世界を愛そうと一糸乱れぬダンスを踊る集団とは相容れない。

・こんなにも平和なのに、意思確認の頻度が高い。

・受け入れられないからといって「あんなホストみたいな連中」で終らせてはいけない。

 

ファシズム化する石原さとみの唇」

石原さとみのCMはこうして、画面の前にいる「あなた」に向かって話しかけてくる。大雑把な論評を躊躇せずに漏らせば、どことなくAV的なのである

・この人はいっつもテレビの前の男に向かって話しかけるシチュエーションを与えられてきたのに---

・女性誌の中吊り広告を見ていると、毎号のようにその雑誌の信者に命令しまくっている。五着で着回せ、肌を乾かすな、今年は黒だ…そういった命令を多量に浴びた上で自分に必要かどうかを仕分けていく。毎月毎月うるせえよ、と悪態をついた順に雑誌から離れていく。

・彼女の存在自体がサブリミナル化している

石原さとみは常に、こちらの無自覚を狙って入り込んでくる。

・政府公報に彼女が登場したら、細心の注意が必要である。彼女のサブリミナルはプロパガンダになりうる。

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紗栄子が生き急いでいる」

・売れっ子の自分を嫌いになり、そのあとで自分を取り戻し、やがて自分は自分だけのものでなく、みんなのものだと気づく。

・一方で、矢沢は時折、「ヤザワが何をしてくれるか楽しみ」という形容を使う。矢沢自身が矢沢に期待し、周囲のファンがさらなる期待を向けるという「期待の重層性」

・自分で自分を持ち上げておいて、おかげで私はこんなふうになれたから「みんなにお裾分けしたい」とおもんぱかる善意が様々なビジネスとして結実する現在、そこでの調節具合を間違えて心証を損なうと、「コイツ、ホントに金儲けが好きだな」という乱雑な文句が降りかかることになる。

・例えば、現役時代の谷亮子が自ら「前人未到の四連覇」と述べてきたようなスケール感が、この人にもある。

 

軽部アナの蝶ネクタイが教えてくれること」

・女子アナが記号的に嫌悪される場面でもれなく標的になるが

・隣に佇み(たたずみ)ながらしっかりと自らの主張を続ける軽部アナの存在を熟考することは、これからの日本的企業とは、という命題を考える上でも欠かせない。

 

能年玲奈民営化問題」

・人を乱雑に扱うことで笑いを練り上げていく石橋の手法が、一瞬で機能不全に陥っていた

・「わかっちゃいるけど騙されておこう」というコンセンサスがすっかり茶の間にまで染み渡っている。

・風呂場で小さなおじさんを見たと公言し続けた釈由美子

・キャッチャーもいないのに受け取りにくい球をいつまでも投げ続ける厄介者

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「メディアに消費されない宮間あや

・例えば、「サンデー毎日」(2015年7月19日号)では「なぜ世界の舞台では女子のほうが強いのか」とあり、記事の見出しに目を向ければ「「女子力」を引き出した監督の手腕」、記事の内容を追えば「日本の女性には古来、集団の力や和を重んじる文化があります」とある。宮間が言う「文化」は絶対に、この手の「女子文化」ではないだろう。

個人の鍛錬の集積を、チームワークではなく「女子力」として伝えてしまう。そんな「男子力」報道は、なでしこをまたしても文化から遠ざける。

女子サッカー選手の苦境、具体的には「チームから給料をもらわず、フットサル場の受付をして働いている人もいる」というネタ、みなさん、本当に好きだ。

---いつだってなでしこの物語が「チームワーク」と「(女子ならではの)苦境」との抱き合わせで投げ売りされることへの疑問

・「消費されてたまるか」という闘志がヒシヒシという闘志がヒシヒシと伝わってきた。

 

 

「ウィスキーを作るべきは華原朋美

・「VERY」の「今の時代、家族という基盤があるからこそ、スタート地点に立てる!」

・家族という基盤があるなら家で静かにワインでも飲んでいればいいのにと思うものの、「ウィスキーのイメージ=場末のスナックで頼んでもいないのに出て来る飲み物」を払拭するには抜群の人選ということなのだろう

・復活後に出演した『情熱大陸』(TBS系)で、すっぴん風メイクではなく本当のすっぴんで「結果が出ないとすぐに逃げたがるから私は。もう何かね、自分に勝ちたかったんですよね、一度でもいいから。自分にずっと負けるから、勝ちたかった」とストイックに締め括った彼女のスナック感。基盤があるのに色気を撒いちゃう井川遥的な仕上がりに---

 

 

「ざわちんは板野友美をやめてはいけない」

・この番組は時折、飲んでいたコーヒーをぶちまけたくなるナレーションを入れる。幸いにもコーヒーを飲んでいなかったのでぶちまけることはなかったが、「無力な自分への苛立ち」を勝手に仮定し、「だろうか」という断定と推量が交じり合う語尾を付着させると、あの落ち着いた語り口も相まって、不思議と断定として響く。必要以上に物語性を投与したくなるのは制作者の常なのだろうが、物語を軸から変えて勝手に飾り付けてしまうこの番組のナレーションはいっつも気になる。丁寧に、静かに、川を漕いできたところに、わざわざ人工的に波を起こすような言葉遣い。その人工に、これまでの自然物がさらわれてしまう。誰を引っ張り出しても「すごいことやってる人も、いろいろ葛藤しているんですね」という当たり前の結論に帰着させたがるこの番組は、抱えている葛藤という具材に、とっても雑な味付けをする。大戸屋」で食べると何食べても同じような味がするのと同様。

 

大江麻理子アナは誰にも嫌われないはずだった」

・幻燈社辺りで行間たっぷりの本を出すんだろうな絶対あーあ

 

ネプチューン名倉潤を終電まで語り尽くす必然性」

・この番組が鮮度を保った上で面白くあり続けるのは、相応のポジション=課長職にあるそれぞれが隙あらばあたかも新入社員のように目立とうと試みてくるからである。

 ・面白い人なのか、それともちゃんとしたい人なのかを、仲間さえまだ判断しかねている状態。

 

 

ベッキーの元気を直視できないボクらが悪い」

・「どうすればもう少し広い心になれますか?」との問いに光浦は、いい人になりましょう、それがいちばん得をしまう、としたあとでこう述べる。

「いいこと言う人って好かれるじゃないですか?人から好かれて一番得するのって自分じゃないですか?だから、性格のひねくれた私は思ったんですよ。いいこと言う人ってすんげえ利己主義だなって」

 

 

「吉田羊を「ミステリアス」と評するミステイク」

・大塚家具元会長の発言「悪い子供を産んでしまった」に代表される

株主総会で、実母からの設問を「他の方もいらっしゃいますから手短に」とさえぎった

・つまり、起用する側が、吉田羊を記号的に処理している

 

「やっぱりまだ、aikoの魅力がわからないんです」

浜崎あゆみは、これは落選ではなく卒業だとし、「お互いにパーフェクトなタイミングで笑顔で手を振り合い、ベストな形でお別れが出来た」とつぶやいた

 

 

星野源が嫌われない理由を探しに」

・星野が「「エー、草食系の星野源さんですが…」みたいなことを言われると「殺す!」って怒ってた」と語る。

・「自分はエロ本を空き地へ探しに行ったぎりぎりの世代」だ

・『あいのり』(フジテレビ系)に出てくる若者を「恋愛にうつつを抜かしてチャラチャラしている(偏見)いけ好かない若者たち」と書いた