ここがパンチライン!(本とか映画、時々 新聞)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

西野カナの「トリセツ」のMVがキモい。歌詞世界を映像化するプロセスでどう失敗するのか。

f:id:design_your_life:20161002130652j:plain

晴れた日曜日の午前中にMTVを視ていて、ふと思ったのだ。

西野カナの「トリセツ」のMVがキモい。

今更ながらであるが。

 

そのMVを目にして、ざらっとした何がしかが残り違和感や嫌悪を感じ取った人もきっといるだろう。

 

www.youtube.com

 

ここでは、舞台上に均等に坐らされた女の子たちは何らかの商品に見立てられているように見える。

おしゃれをして着飾り、ショーアップされた女の子たちが、一人一人立上がっては自分の特徴や性格らしき歌詞を読み上げ、それを観客席にいる彼氏達が観ているという構図だ。

 

「トリセツ」とは、取り扱い説明書のこと。

つまり、この歌は、私(彼女たち)の扱い方、私との付き合い方、コミュニケーション上の注意やレギュレーションをあれこれ並べてる構成になっている。

 

きっとそこには、彼氏の前で自覚的に発揮している世の “彼女”たちのリアリティとか共感が存在しているんだと思う(そう、だってそれで食ってるんでしょこの歌手は)。

 

「私ってこういうところあるから分かって(多めにみて!)」「でも私だけでなくて女の子(※ときに一般化)ってこういうところあるの(知っておいて!)」てとこでしょう。

 

おそらく西野カナに罪はない。

今回、彼女はいつも通り彼女らしい恋愛価値に没入し、

「取り扱い説明書」や「扱い方」という切り口で歌詞を編んだに過ぎない。

会いたくて震える 西野カナのことだ。

こういう見立ても、したきゃすればいい。

 

ただ単に、映像化したときのセンスが決定的になかったということだ。

作った人間のセンスの問題だと思う(まあ、何でもセンス問題にしてしまえば、それまでなんだけど。。。)。

 

「彼氏の前にいるときの女性のリアリティ」や「男女の心の交わし合い」みたいなものを映像として描きだす想像力や技術に圧倒的な不足があるんだと思う。

 

とはいえ、西野カナのその歌詞やワーディングにも突っ込みどころはある。

 

ご使用の前にこの取り扱い説明書をよく読んで

ずっと正しく優しく扱ってね

一点物につき返品交換は受け付けません。

 

そして何と言ってもクロージングの

永久保障の私だから 

 

多分に映像的なミスをリードさせるきっかけは多い。

 

いざ映像化する段になったときにそれをどう描くか。

マスター映像が出来上がってきたときに、それをどう受け取るか(チェックするか)。

そこにこそ仕事への矜持というか、職業的センスが問われるんじゃないだろうか。

 

映像というものは受け取る人間にとっては分かりやすい。

余計な想像力はなるべく節約して、そのままに受け取られる余地が多い。

しかし、映像はそれがゆえにメッセージや伝えたい世界観や雰囲気をしっかり伝えてしまう。それはもう身もふたもないままに。

 

 最近こういった映像化におけるトンマナチェックミスとかセンスレスで炎上してる報道が増えたような気がする。

映像のアウトプットって、その企画や実際の作業に入り込んだ人間以外の視点や感覚が欠けてしまいがちだ。部外者のチェックが過程で入りくい。

で、マスターが出来たら最後、修正が利くレベルなら直しもあり得るが、

基本的には、もう出来ちゃったし、作り直すのに時間もお金もかかるし。

 

www.youtube.com

市町村とはいえ、地方自治体がこの辺のトンマナわかんないっつうのは、、つらいよなあ。

 

映像作るプロでもこんなザマだ。

素人がを何をかいわんや。 

 

ちなみに、件の「トリセツ」。

MTVのカラオケTOP100で、5位です!!(16年10月2日現在)

今日もどこかの歌広で、トリセツを歌う女子大生が。。。

 

 

 

似たようなことを感じた人たちは多い