『微笑(小島信夫)』
戦地から復員してはじめて、四歳になった息子と出会った。
僕がはじめてじぶんの息子にめぐりあったのは四年ぶりで戦地から復員した時で、僕は自分の息子であるというより、何か病気の息子であるようなかんじにおそわれた。
僕はそうしながら、痺れるような快感を味わっていたのだ。僕はもちろん自分が一個の悪魔にちがいなかったが、実は小悪魔を退治しているような感じであったのだ。
僕は長い狂暴な軍隊生活でおとなしい生活を送り、人のからだにふれたこそさえなかった。その僕がこんなことをするのは何故だろう。これほどのことが出来るならば、僕は自分に用心をしなければならない。
宗教に入るか、
精神修養をするか、
ほかの動作でくいとめるか。
まもなく僕は幼稚園にひびきわたるような大きな声でどなっていた。僕は子供らを叱り順々にブランコにのさせて監視をつづけた。僕は熊のように昂奮し、はげしい息づかいをしていた。
「坊やは治りたいか」
僕は汽車の中でこういう愚問を息子に発した。僕は息子が、治る治らぬということさえ気がつかないことをのぞんでいた。息子はそれにただ微笑しただけだった。
僕は微笑の意味を知りたいと思った。僕は息子の微笑にあうと、土俵の外へいきなり放り出されたような感じがした。
僕は狭い部屋がわれるように叫んだ。僕は妻に向かって云っていたのだ。いやそうではないかも知れない。僕はこの親二人を代表して誰かに、見えざる監視者たとえば神に向かって、威丈高になって見せていたのであろう。
補導員は説明し、浮いて見せ、おどけて見せ、賞賛していた。その様子を見ているうちに、何か補導員の方が異常ではないかと思えてくる程の、誇張された善意がみなぎっていた。僕はその善意の氾濫に目まいがしそうになった。
「よかった、よかった」
とくりかえした。口ではそういったものの、僕はなれ合いのかんじでそれ以上つづけることが苦痛であった。
『殉教・微笑(小島信夫)』