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ここがパンチライン!(本とか映画、そんでときどき新聞の)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『宇宙を織りなすもの(上) ブライアン・グリーン』

小説  自己を更新してく 

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喫煙所でタバコ吸ってたら関連会社の兄ちゃんが、この分厚い本読んでた。

文学ばっかりやってる俺たちも、全然気にならないわけじゃない。

宇宙について。

 

難しい計算やモデルの解説ぬきで、宇宙や量子について分かりやすくアプローチする。

 

著者の態度は生粋の文系男である我々にも共感しやすいものだ。

宇宙をより深く理解したところで、人生がより豊かになったり、生きるに値するものになったりはしないというカミュの意見には賛成できないと思った。

 

子どもの頃、私はよく父とマンハッタンの街路を歩きながら、こんなゲームをしたものだった。父と私のどちらか一方があたりを見回して、その場の出来事をひとつ心に決め、その出来事を別の視点から見たらどうなるかを説明するのだ。「バスが通り過ぎる」という出来事を、バスのハンドルから見たらどうなるか。「鳩が窓の下枠に止まる」という出来事を、飛んでいる鳩から見たらどうなるか。「男性がうっかりコインを落とす」という出来事を、地面に落ちる二十五セント硬貨の立場から見たらどうなるか。それを言葉で説明するのである。難しいけれど楽しいのは、おかしな説明を聞いて、それをどう解釈するかを考えるところだ。---このゲームをすると、世の中をさまざまな視点から見るようになるし、どの視点もそれぞれに正しいことを強く意識するようになる。

 

光は、私たちの網膜に含まれる化学物質とちょうどよい具合に相互作用して、視覚という感覚を生み出すような特徴を持つ電磁波なのだ。

 

室温での音波の速度は、秒速約三四〇メートル(この速度の値は、先に登場したエルンスト・マッハにちなんで、マッハ1と呼ばれることがある)

 

アインシュタインは、光の速度は何に対しても、時速一〇億八〇〇〇万キロメートルという値になると宣言したのである。

 

特殊相対性理論

空間と時間が相対的だという結論である。空間と時間はそれを見るものによって異なる。---特殊相対性理論が難しいのは、数学が高度だからではない。この理論の考え方に違和感があり、日常の経験に反しているように思われるからなのだ。

 

物体は、時間の中でも動いていくのだ

今このとき、私たちの周囲にあるいっさいのものが、時間のなかを情け容赦なく突き進んでいることを告げている。あらゆるものが、ある瞬間から次の瞬間へ、さらに次の瞬間へと、たえず移り変わっているのだ

 ニュートンは、時間のなかの運動と空間のなかの運動とは完全に切り離されていると考えた。つまりこれら二種類の運動は、まったく関係がないと考えたのだ。しかしアインシュタインは、時間のなかを進むことと、空間のなかを進むことには密接な関係があることに気付いていた。

---駐車している車、つまりあなたに対して空間内を移動していない静止している車では、運動のすべては時間内の運動に振り向けられている。静止している車も、その運転手も、道路もあなたも、あなたが身につけている衣服も、時間のなかをまったく同じ速度で、ぴったり歩調を合わせて刻一刻と進んでいるのである。しかし、駐車していた車が走り出せば、その車がそれまで時間内を進んでいた速度の一部が、空間内を進む速度に振り向けられる。バートが進行方向を北から北東に変えたとき、北向きの速度がいくらか小さくなり、その分東向きの速度に振り向けられたように、時間内を進んでいた速度の一部が、空間内を進む速度に振り向けられるために、その車が時間内を進む速度は小さくなるのだ。ここから次の結論が導かれる。車は、時間内を前よりもゆっくる進むため、走っている車とその運転手にとっての時間は、静止しているあなたや他の物体にとっての時間よりも、ゆっくりと流れていることになる。

---どんな物体の運動も、空間内を進む速度と、時間内を進む速度を合わせたものは、必ず光の速度と同じになるのである(空間内を進む運動と時間内を進む運動はつねにお互いを相補的に補っている)。

---リサの時計で三時間が経過するときに、バートの時計では二時間しか経過しないのだ。バートが空間内を大きな速度で進んでいるために、時間内を進む速度のかなりの部分が奪われているのである。

 

光が特別なのは、空間内をつねに光速で進み、速度のすべてを空間だけに振り向けることだ。

 

エーテルが存在する証拠が得られそうだというのだ。

もしそうなれば、絶対的に静止した基準が存在し、アインシュタイン特殊相対性理論は間違っていたことになる。

 

特殊相対性理論は重力を考慮に入れていなかった。重力と加速とは等価なのだから、重力の影響を感じている人は、加速しているはずなのである。

(重要なのは、一般相対性理論のおかげで、重力の働くメカニズムが明らかになり、重力の伝達速度が数学的に計算できるようになったのである。)

 

 

量子力学

宇宙がもっているこの性質のことを、「あなたが直接的に影響を及ぼすことができるのは、すぐそばにあるものだけだ。つまり、物理的な影響力はローカルなものである」という意味を強く打ち出して、局所性(ローカリティ)と呼んでいる。

 

理論と実験の両方から得られた結果は、宇宙には非局所的な結びつきが存在することを強く支持している。

 

光まで含めて何かが伝わるだけの時間がなくてもー離れた場所で起こる出来事が、互いに絡み合うことが可能なのである。それはつまり、空間はそれまで考えられていたような性質のものではないということを意味する。

 

「森のなかで倒れる木」という古い話を持ち出して次のように答えた。

 もしも誰も月を見ていなければーーもしも「見ることによって、その位置を測定する者がいなければ」ーー月がそこにあるかどうかを知るすべはなく、それゆえそれを問うことにも意味はない、と。

 

操作を施しても変化しない特徴のことを、物理学者は「対称性」と呼んでいる。

 →芸術人類学的観点でも、ずっと私の関心事である、「対称性」。こういう学術分野ごとの言葉の定義や視点を比較して考えられるというのは総合的に学問する人間が享受できる豊かさの一つに違いない。

 

 

以上、取り急ぎだが、相対性理論しかり、量子論しかり、

異なる他の考え方に触れ、相対的に考えてみることが必要になりそうだ。