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ここがパンチライン!(本とか映画、そんでときどき新聞の)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『科学の発見(スティーブン・ワインバーグ)』

批評・評論 

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新聞各紙の書評でも話題になっていた。

理論物理学者で、79年のノーベル物理学賞受賞者スティーブン・ワインバーグ量子論の統一理論第一歩)の著書。

 

私は現代の基準で過去を裁くという危険な領域に踏み込む。

 

本書は不遜な歴史書だ。過去の方法や理論を、現代の観点から批判することに私は吝かではない。 

 

破れた対称性にせよ、破れていないあ対称性にせよ、正しさの証明は実験によって結果を確認することでおこなわれる。そこには、人間社会の出来事にあてはまるような価値判断は含まれていない。

 

こうしたギリシャの思想家たちを理解するには、彼らを物理学者や科学者だと考えないようがよいように思われる。哲学者とさえも思わないほうがいい。彼等はむしろ詩人とみなされるべき存在である。

 

ここで言う「詩」とはつまり、自分が真実だと信じていることを明確に述べるためというよりは、美的効果のために選択された文体、という意味である。

「緑の導火線を通して花を駆りたてる力は ぼくの緑の年齢を駆りたてる」というディラン・トマスの詩を読んで、これを植物と動物の力の統一について真面目に述べた分だと考える人はいないし、そこに証明を求めたりもしない。われわれはそれを、「年齢と死をめぐる悲しみの表現」と解釈する。

 

 

数学者たちは、「物理学者が書いたものはいらいらするほど曖昧だと思うことが多い」と言う。私のような、高度な数学的ツールを必要とする物理学者としては、「数学者の書いたものは、厳密さに対する彼等のこだわりのせいで、物理学者にとってはほとんどどうでもいいところでややこしくなっている」と感じることが多い。

 

実を言えば、アリストテレス著作には、プラトンのそれにはない退屈なところが多いと思う。しかし、アリストテレス著作には、プラトンのそれが時折見せるような馬鹿らしさは感じられない。

 

科学の進歩とは、おもに、どんな問題を問題にするべきかを発見することだったのである。

 

科学の進歩とは、単なる流行の変化ではなく、客観的なものである。運動について、ニュートンのほうがアリストテレスよりもよく理解していたという事実を、あるいは現代のわれわれのほうがニュートンよりもよく理解しているという事実を、疑うことができるだろうか。どんな運動が「自然な」運動かを問題にしたり、あれこれの物理現象の「目的」を論じるのは、いつの時代にせよ無意味なことである。

 

紀元前323年のアレクサンドロス大王の死とともにアリストテレスアテネを去り、その翌年この世を去った。マイケルマシューズは彼の死を、「歴史上最も輝かしい知性の時代の黄昏を告げる死」と表現している。確かにそれは古典期の終焉だった。しかしそれは、科学にとっては、遥かに明るい時代の夜明けでもあった。(それだけアリストテレスの“科学的”知見の影響力は大きかった)

 

 

プラトンの考察は宗教に満ちあふれている。

神が惑星の軌道を定めた、と『ティマイオス』で述べているし、惑星そのものを神々だと考えていたかもしれない。 

 

 

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