ここがパンチライン!(本とか映画、ときどき新聞)

物語で大事なのはあらすじではない。キャラクターやストーリーテリングでもない。ただ、そこで語られている言葉とそのリアリティこそが重要なんだ!時代の価値観やその人生のリアリティを端緒端緒で表現する言葉たち。そんな言葉に今日も会いたい。

「しんせかい(山下澄人)」

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第156回芥川賞が、山下澄人氏の「しんせかい」に決まった。

 

我々「勝手に芥川賞選考会」では、二番目に評価の低い作品だった。

「これが受賞したら抗議文送ろうぜ」とまで言っていた作品だ。

正直、驚いている。

 

今回の候補五作は前回と比べても意欲作が少なく、我々の基準には達しなかったため「該当作ナシ」だった。

小説としては面白い部分があるものもあったが、「芥川賞には、、ねえ。」ってなものばかりだった。

とはいえ、明治の御代、「二月・八月(ニッパチ)」という出版不漁シーズンに構えられ、そもそも出版業界振興のために設けられた同賞で、商業主義的でくだらねー大人な決定を下すなら、「カブールの園(宮内悠介)」とかじゃねえのくらいに思っていた。

 

甘かった。狙いはもっと俗だった。

この作家本人が来歴を隠していないように、富良野塾一期生だと。倉本聰門下なんだと。ズバリその舞台を借りて主人公の名前さえ「スミト」って自分の名前語って書かれた本作が受賞したんですって。翌日の朝刊には、ご丁寧に倉本聰のコメントまで添えられて。ハイハイ、良かったね。

芥川賞にゃ、別に恨みも義理もねーけど、せめて最も著名で権威がある新人文学賞の威厳っつうか矜持みたいなもんを見たかったなー。こっちだって選考してんだからよお(勝手にだけど)。

 

 

生意気言ってすいませんが、

端的に言って、文章が稚拙なのだ。

山間部の集団生活で垣間みる人間的省察、洞察みたいなものに疎い。 

「ただ、誰もが知ってる演劇の塾が舞台で、青春らしきものはある」みたいな感じ。

 どうせ今回初めて選考委員に加わった吉田 修一とかが推したんだろ。どうせ。

 

 稽古場と呼ばれる大きな丸太小屋の中にぼくたちはいた。

 

「君はさっき安藤に質問されてブルースリーとかいってたね」

いった。

「はい」

「何ていった」

「はい」

「え」

え。

「はいじゃなくて、何てこたえた」

「あ、ブルースリー、です」

「そうじゃなくて、何てこたえた」

だからブルースリー

「誰かおぼえてる?」

一期生たちに【先生】は聞いた。

「はい」

と金田さんが手を挙げた。一期生の金田さんは脚本家志望の田中さんの彼女でとてもしっかりした人で、顔もしっかりしている、俳優志望の人だ。

ブルースリー

「そう」

 そういったのに。

 

→この辺りは、先生の言葉が異様な存在感を帯びたシーンだ。
閉じられた社会で、先生が語る言葉がある種の特別な作用をもたらして生徒達に受け容れられている。あたかも宗教家が信者達に何かを語るように。

何せ、特殊カッコ【】内に 先生 である。先生が語りかけ、それが生徒達の世界や現実に多くの作用をもたらすようになるのかも、

と想像してはみたが実際はここだけだった。作者が意識的に書き分けたわけではなさそうだった。

 

【先生】は怒っているというより、少し、何というか、傷ついていた。

 

 

「シャバに」

「え」

「女いんのかよ」

こんな言葉使いするけいこははじめてだ。

「どうなんだよ」

「いるんだろ」

結局わたしらは付き合っていたわけではなかったみたいやし、そう思うとわたしのことあんまり見てなかったり聞いてなかったりしたこともすごくああなるほどって思うし、少しだけ悩みましたが、そういうことになりました。

 

「わかってんだよ」

話すたびにけいこが吐く息が白く充満する。

 

 

 

 

けいこは上着を脱いで、セーターを脱いで、下着をはぎ取った。ない胸が見えた。

「ないから何だよ!」

窓はくもって真っ白だ。息がつまる。

「お前も脱げよ」

服を脱いでいられるような音頭じゃない。

「わたしが脱いでんだからお前も脱げよ!」

どこからか猫の鳴くような音がしていた。聞きおぼえのある音だ。これは、喘息だ。喘息の音だ。【谷】へ来てから一度も発作が出ていなかったから忘れていた。

「うわあーーーーーー!!」

 と叫びながらけいこが外へ飛び出した。