ここがパンチライン!(本とか映画、ときどき新聞)

物語で大事なのはあらすじではない。キャラクターやストーリーテリングでもない。ただ、そこで語られている言葉とそのリアリティこそが重要なんだ!時代の価値観やその人生のリアリティを端緒端緒で表現する言葉たち。そんな言葉に今日も会いたい。

『細雪(上)』

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谷崎である。細雪である。

この歳になって、日本の小説、否、近代文学の素晴らしさがよく分かるようになってきた。日常や生活に垣間みる、心情と風雅の機微(言語化)。

 新しいものではなく、古くて今でも残っているものを繰り返し読むべきだ、そう思うようになってきた。

 新しい小説に価値がないってわけじゃない。ただ、この世の中には読むものがあり過ぎるから、優先順位があってもいいって、そういうことだ。

 

大阪船場、蒔岡家の四人姉妹(鶴子、幸子、雪子、妙子)、昭和十年代の関西上流社会。

 娘のいる上流家庭の体面。家族の中でもメッチャ気使う、行き遅れた真ん中の娘(雪子)問題。東京に本家が越して、雪子が神経衰弱に。。

 

ヴィタミンBの注射をするのが癖になってしまって、〜家族が互に、何でもないようなことにも直ぐ注射し合った。

 

 

要するに御大家であった昔の格式に囚われていて、その家名ふさわしい婚家先を望む結果、初めのうちは降る程あった縁談を、どれも足りないような気がして断り断りしたものだから、次第に堰けんが愛想をつかして話を持って行く者もなくなり、その間に家運が一層衰えて行くという状態になった。

 

 

まず身の丈からして、一番背の高いのが幸子、それから雪子、妙子と、順序よく少しづつ低くなっているのが、並んで路を歩く時など、それだけで一つの見ものなのであるが、衣装、持ち物、人柄、から云うと、一番日本趣味なのが雪子、一番西洋趣味なのが妙子で、幸子はちょうどその中間を占めていた。顔立ちなども一番円顔で目鼻立ちがはっきりしてい、体もそれに釣り合って堅太りの、かっちりした肉づきをしているのが妙子で、雪子はどの反対に一番細面の、なよなよとした痩形であったが、その両方の長所を取って一つにしたようなのが幸子であった。服装も、妙子は大概洋服を着、雪子はいつも和服を着たが、幸子は夏の間は主に洋服、その他は和服と云う風であった。そして似ているという点から云えば、幸子と妙子とは父親似なので、大体同じ型の、ぱっと明るい容貌の持ち主で、雪子だけが一人違っていたが、さう云う雪子も、見たところ淋しい顔立でいながら、不思議に着物などは花やかな友禅縮緬の、御殿女中式のものが似合って、東京風の渋い縞物などはまるきり似合わないたちであった。

 

 

さすがに優越感を抑えがたいところもあって、「あたしが一緒やったら雪子ちゃんの邪魔することになるねんて」と、夫の貞之助の前でだけは幾らか誇らしげに云ったり、

 

 

大概の大商店が株式組織になった今日では、「番頭さん」が「常務さん」に昇格して羽織前掛の代わりに背広を着、船場言葉の代りに標準語を操るようになったけれども

 

 

二人で並んで盃をする時に、花婿の風采があまり爺々して見えるのでは、雪子が可哀そうでもあるし、折角世話をした自分たちにしても、列席の親類達に対して鼻を高くすることが出来ない。

 

 

まだ小学二年生の少女でも、神経衰弱に罹らうことはるだろうか。

 

 

 

鬱みたいなことって、そりゃ昔もあったんだよな。。

 

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