ここがパンチライン!(本とか映画、ときどき新聞)

物語で大事なのはあらすじではない。キャラクターやストーリーテリングでもない。ただ、そこで語られている言葉とそのリアリティこそが重要なんだ!時代の価値観やその人生のリアリティを端緒端緒で表現する言葉たち。そんな言葉に今日も会いたい。

『忍ぶ川(三浦哲郎)』

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60年、芥川賞受賞作。

二人の姉は自死、兄が失踪、下の兄は信頼されていたが家族親戚から金を借り後逐電、などつらい経験を持つ学生が料亭で働く自分にとっての100%の女性に思い詰め、心通わす。

 村上春樹作品(やたら人が死ぬという点でノルウェイ限定か)となぞらえる人もいるようだが、全然違う。一遍一遍が希望に溢れたすっげーいい終わり方するし。

 

 

志乃をつれて、深川へいった。識りあって、まだまもないころのことである。

 

 

錦糸堀から深川を経て、東京駅へかよう電車が、州崎の運河につきあたって直角に折れる曲がり角、深川東陽公園前で電車をおりると、志乃はあたりの空気を嗅ぐように、背のびして街をながめわたした。

 

 

私と志乃は、その年の春、山の手の国電の駅近くにある料亭<忍ぶ川>で識りあった。私は、忍ぶ川の近所にある学生寮から東京の西北にある市立大学に通う学生で、三月のある夜ふけ、寮の卒業生の送別会の流れにまじって、はじめて忍ぶ川へいったのである。

 

 

「せっかちでなければ、袖になしか。」

女はくすっとわらった。

「お人によります。」

「俺は、どうだ。」

 

 

 

志乃はふいに口をつぐんで、足もとを見ながらあるいた。

「本村さんは、どうしたの?」

「あたしを、ほしがりだしたんです。」

私はぼおっと頬がほてり、胸がはげしく動悸をうった。

「それで?やったのか。」

「やるもんですか。」

 

 

 

私たちの全身はたちまちのうちに汗ばんだ。その夜、志乃は精巧につくられた人形であった。そして、私は、初舞台をふんでわれを忘れた、未熟な人形遣いであった。 

 

 

 

 

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