ここがパンチライン!(本とか映画、時々 新聞)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『罪と罰 下(ドストエフスキー 工藤精一郎訳)』

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わたしは神経質なものですが、あなたのピリっとわさびのきいた言葉にはすっかり笑わされてしまいましたよ。

 

 

まったく、科学ですからな、現代は・・・・

 

 

鋭い頭脳というものは、すばらしいものだと思います。それは、いわば、自然の装飾、生活の慰めです。

 

 

あなたは猜疑心のために、せっかく鋭い頭脳を持っていながら、ものを見る健康な目まで失ってしまわれたのですよ。

 

 

ピョートル・ペトローヴィチが

裁判官はあんた方ほど盲じゃないし、それに・・・酔ってもいない、こんな札つきの無神論者、煽動者、自由思想とやらにかぶれているやつらの言うことなんか、信用しませんな。こいつらは個人的なうらみでわたしを非難しているんだよ、ばかなものだから、自分でそれをちゃんと認めているじゃありませんが、・・・さあさあ、ごめんなさい!

 

すると不意に、奇妙な、思いがけぬ、ソーニャに対するはげしい嫌悪感が、彼の心をよぎった。彼は自分でもこの感情にはっとして、おどろいたように、不意に顔を上げて、じっと彼女を凝視した。すると彼の目は、自分に注がれている不安そうな、痛々しいまでに心をくだいている彼女の視線に出会った。そこには愛があった。彼の嫌悪はまぼろしのように消えてしまった。あれはそうではなかった。彼は感情を思いちがいしたのだった。あれはただ、あの瞬間が来たことを意味したに過ぎなかった。

 

 

彼はソーニャを見た、そして不意にその顔にリザヴェータの顔を見たような気がした。

 

 

ソーニャ、きみもわかるだろうけど、低い天井と狭い部屋は魂と頭脳を圧迫するものだよ。

 

 

ポルフィーリイ・ペトローヴィチ

わたしがあなたに対してどんなオーソリティがあります? 

 

どうもあなたはあまりに尻っぽを出しすぎますよ、ロジオン・ロマーヌイチ。それからもう一つ、ペテルブルグには歩きながらひとり言を言う人間が、実に多いですね、ほんとですよ。

 

 

あなたがいまどんな問題に悩んでいるか、道徳の問題、かな?市民と人間の問題でしょう?でも、そんなものはわきへ押しやりなさい。いまのあなたにそんなものが何になります?

 

 

話せば長くなりますがね、アヴドーチャ・ロマーノヴナ。そこには、さあなんと言ったらいいかな、一つの理論ようなものがあるんですよ。例えば、大きな目的が善を目指していれば、一つくらいの悪行は許される、というような理屈ですよ、一つの悪と百の善行です!

 

 

 

(スヴィドリガイロフとドゥーニャの、部屋での応酬)

「〜それに、誰もあなたを信じませんよ。え、だって何か訳がなくて、娘さんが一人で男一人の部屋を訪れるはずがないじゃありませんか?だから、たとえ兄さんを犠牲にしても、この場合なんの証明にもなりません。暴行ってやつは判定がひどく難しいんですよ、アヴドーチャ・ロマーノブナ

 

 

ぼくがあのけがわらしい、害毒を流すしらみを殺したことか。殺したら四十の罪を赦されるような、貧乏人の生血を吸っていた、誰の役にも立たぬあの金貸しの婆あを殺したことか。これを罪というのか?おれはそんなこと考えちゃいない、それを償おうなんて思っちゃいない。どうしてみんな寄ってたかって、<罪だ、罪だ!>とおれを小突くんだ。

 

ラルコーリニコフには二つの道しかない。あるいはウラジーミルカ行きか、あるいは・・・それに彼女はラスコーリニコフが虚栄心が強く、傲慢で、自尊心が強く、そして神を信じていないことを知っていた。 

 

 

自分さえ信じられなくなる(自分の境遇と可能性)人間不信と宗教的不信心。

依って立つところのなさ。

 

エピローグでの希望。

そして、再生の物語は、また別の話。

 

 

 

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