ここがパンチライン!(本とか映画、時々 新聞)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『父として考える(東浩紀・宮台真司) 』

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父になってみて再読。

父なる実感、って部分の吐露は相対的に少ないように思われた。

 

見田宗介氏が言うには、女たちが保守化したのではなく、仕事も子育ても両方選べるようになった段階で、あらためて比べた上で子育てを選ぶようになった以上、子育てしか選べなかった状況とは意味がちがうのだ、と。

 

わざとスクリーニングしているんです。

 

 

常見氏が主張しておられるように、企業が求める資質のあるひとたちにとっては、完全に売り手市場なんです。

 

 

 

 たとえば、僕が娘を叱ります。すると、僕がいないところで、娘は他の子に対して同じように「叱って」いるんですね。妻から聞いて、なるほどと思いました。僕が、「そんなことやるんだったら、もう遊ばないよ」と叱ります。すると、もう翌日から、他の子に「そんなことするんだったら、もう遊ばなーい」とか言いまくってる(笑)。

 つまり僕のコミュニケーションの形式を学んでいるわけです。

 だから説教したり、アドバイスしたりするときは、その内容ではなく、むしろ、どういう形式をとっているかのほうがはるかに重要かもしれないんです。

 

妻には、「遊ばないよ」も含めて、ネガティブサンクション(制裁の言葉)を提示するときには気をつけてほしいと言われています。

 

 

上野さんは日本ではフェミニズムの代表をみなされていますが、彼女独特の脅迫観念的な個人主義は、フェミニズム本来のものかどうか疑問です。

 

宇野のロジックは全部ナルシシズムの否定でできている。

 

「おひとりさまの哲学」はナルシシズムの否定、甘えの否定なんです。自尊心の裏にある他人への依存を暴き、悪だと指摘する。