ここがパンチライン!(本とか映画、時々 新聞)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『子どもが生まれたも妻を憎まずにすむ方法』

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画像はここでの話とは無関係

 

標題は、アメリカ輸入本のパクリ題だ。

アメリカってやつあ、いつだって資本主義的事象をあるいはその経済システムがもたらす人間社会の個別的現象を先取りしてやがる。

きっとこれだって、半年くらい遅れて日本でもぱーっとSNSを中心に流行るネタだろう。もちろん都市部のリベラル系ファミリー層にのみの話だろうけれど...。

つまり肝心なのは、猶予は半年ってことだ。

 

 

結婚生活を長く続けることは、そのまま国際社会での文化の異なる人たちともうまくやっていくことに似ている。我々は相手に少々気に食わないことがあったからといってそこから簡単には逃げ出せないのである。

 

結婚生活ってのは、実は大した事業なんだよ。
まだ人間的にも幼く、成熟してなくっちゃ、それをうまくこなせないなんて当たり前のことなんだ。

(以上二つは、あの本を読んでいた頃にベッドに横になったとき思い浮かんだこと。俺は何になりたいのかって?さながら夫婦間の問題を扱う哲学者にでもなろうか)

 

 

うさん臭いものでも見るかのようなまなざしを我々にくれるのは、

何も営業先のお客さんだけではないのだ。

 

 


以下、着想の断片。

妻遠方より来たる。俺は家出をしていた。俺は30でこぼこでちゃんと勤め人だったが自発的に家から出ていた。家って実家の方じゃない。自分で買った家の方だ。いや、正確には妻とか。家を買うとき銀行からそれぞれ金を借りた方が住宅ローン減税が最大化されるっつうから分けてローン化したってわけだ。
 俺はデフレを感じていた。

 

✔︎夜中に妻が布団を立ち娘と部屋に二人で泣きじゃくられるとき。母を探すようなそぶり。何をやっても機嫌を直してくれない。俺じゃダメなんだなと思わされる。

✔︎俺はこんなにやってるのに、妻はもっと求める。このコミュニケーションの終わりは、どこにあるのだ?

✔︎未来の、想定されるかもしれないが今は存在しない問題について憂慮しているんだ。

 

✔︎たまに喫煙所であまりにバランスを欠いた会話を聞く。どうバランスを欠いてるかっつーと交わされている話が一方的だという点だ。一人で話して、一人で笑ってる。片割れの相づちはそろそろ薄い。


✔︎たとえばだ。俺はこの国の首相が大っ嫌いだが、俺の力で首相を変えられるわけじゃない。
30過ぎてもコンビニの弁当食ってるんだぜ、ろくな大人になりつこないだろ。

✔︎俺はこんなにやってるのに、妻はもっと求める。このコミュニケーションの終わりは、どこにあるのだ?

✔︎未来の、想定されるかもしれないが今は存在しない問題について憂慮しているんだ。

 

✔︎金曜日は或る女と会う。そのことがたまらなく楽しみでもあり同時に、早くこんな関係が終わって欲しいと思うような瞬間もある。複雑なんだ人間ってのあ。