ここがパンチライン!(本とか映画、ときどき新聞)

物語で大事なのはあらすじではない。キャラクターやストーリーテリングでもない。ただ、そこで語られている言葉とそのリアリティこそが重要なんだ!時代の価値観やその人生のリアリティを端緒端緒で表現する言葉たち。そんな言葉に今日も会いたい。

『クロマグロとシロザケ 〜東京夜話〜(いしいしんじ)』

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「つらいのはな、速く泳げないことなんだ。自分が泳ぎたい速度で泳げなけりゃ、泳いでるって気にならないだろう」

 

「なにかやらなくっちゃ、って感じを思い出すね」彼は巨体を上下に揺らした。「ずいぶん長い間、一匹だったんだ。一匹だと、やっぱり自分はわからないもんだな。自問自答ってのは要するに、逃げなんだよ」

 

 

表層と深層で、海流の向きは往々にして違うものなんだ。

 

 

「ねえ、そんなに落ち着きがないってことは」魚は嬉しそうに言った。「あなたマグロね。ねえそうでしょう。ほんとにずっと泳いでいるのね」

 

 

「うちらには実感ないけどな、このあたりの水温は、もうシャケには無理や。知ってるか。あんたの彼女は、もっと北の海底に一匹だけキャンプ張って、アホなマグロに会いにこのあたりまでわざわざ下ってきとんのや。あの子にとって、どういうことかわかるか。あの子はシャケなんやで。マグロやないんやで。寒い寒い、川の生まれなんやで」

 

 

「ぼくだって、サケになりたかった」ぼくはつぶやいて、泳ぎはじめた。彼女の冷ややかな肌の感触がまだえらに残っていた。たぶん一生消えない、と思った。

 

 

 

 

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