ここがパンチライン!(本とか映画、時々 新聞)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『日本の気配(武田砂鉄)』

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「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」には主語がない。1959年に日本にやってきたチェ・ゲバラは、当初予定していなかった広島訪問を懇願した。原爆病院や資料館を訪ね、同行した日本人に対して「君たちはアメリカにこんなひどい目に遭わされて、どうして怒らないのか」と言い残した。

 

あらかじめ用意されたストーリーに従ってはいまいかと、当たり前の疑いを打ち出してみるべきだろう。

 

パリの南東部にあるリヨン駅は、リヨン方面に向かう始点となる駅。つまり、「そっちへ向かう列車だから」という理由で東京都内に名古屋駅が存在しているような煩わしさがある、という説明は更なる混乱を招くだけかもしれない。

 

政治手法を考えれば「なんだかんだで、大きな声を、支える力」が似合いますよね。

 

 

東北復興から7年経って..

糸井①
「変なことを言うようだけど、この音楽で、8割が復興したという話をされても、2割の悲しみしか伝わってこない。悪いけど、こういう撮り方は、地元の人はやめてくれと言っている。ナレーションにしても、(暗いトーンではなく)普通に言えることがあると思う」


糸井②
「全部をその文脈に入れてしまったら、『ここまで来た』と喜んでいる人たちの表情が見えてこないんじゃないかな」 

 

それに対して、

批評家・若松英輔が同じ日にこのようツイートをしている。何度か繰り返し読んだ。繰り返し読み、どちらかを選ぶべきではないと思いながらも、つい、こちらを信頼した。

「泣いてばかりいないで顔をあげろなどと言う者の言葉を信用してはならない。人は自ら歩く道を舌で舐めるような辛酸のなかに長年探しているものを見出すことがある。悲しみは情愛の泉である。そればかりか、叡智の門である。人生には、悲しみを通じてしか知り得ない幾つかの重大なことがある」

 

世の中で毒舌と称される人のほとんどは、毒を吐いた直後に笑う。

あくまでも仮のものであって、こちらの真意ではないんですよ、そのことをわかってくれよな、という説明。

 

山本七平『「空気」の研究』(文春文庫)は、とりわけ3・11以降、決定に至るプロセスを曖昧にしたまま、万事を空気で稼働させてきた日本社会を突つく際に、頻繁に持ち出されている文献である。

 

『もらったものだけど、美しく、精神的な支えになってきました』と言えばいい」と言う

 

目の前に汚れているお皿があって、これ、どうするの、と問いかける。この汚れのほとんどが、ボクが使う前からあったものなんだよと言う。それに、これからキレイになるからさ、と言う。そんなことを言いながらテーブルに鎮座している人を私はどうしても信じられないのだが、少なくない人がそれを信じている。

 

以前、重松清と対談した折、重松が唐突に「この安村の言葉には批評性がある」と言いはじめた。

 「いままでは『安心できないぞ』『だまされているかもしれないんだぞ』というのが陰謀論的なアプローチだったんだけど、”なんてこたなかった、はいていた、安心して下さい”っていう裏返しの批評性がある」(『現代用語の基礎知識2016』)

 

メディアの役割とは、権力を監視すること、そして思考の多様性を担保することに違いないが、

 →読売新聞、どっちもねーなあ.. 笑

 

偏屈な視座で切れ味の鋭い笑いを量産してきた松本人志は、自身の番組『ワイドナショー』に安倍首相を呼び、直立不動で出迎えた。その後も、政権の意向に従順な意見を述べ、あらゆる異議申し立てを茶化すようになった。

 

置かれた境遇を集団的ではなく、個別的な対応で乗り越えていた。国家と個人は違う。

→ そう。だから、アンタ個人に戻りなさいよ。ちゃんと一個人としての意見を言えるようになりなさいよ。ねえ大下。

 

一億をまるで一人のように縮め、詰めて、弁当箱の枠の中に入れる全体主義的な考え方は、不思議にも東洋でただ一つ自由民主主義の模範といわれている日本のものなのです」

 

そういった「逃げ腰なのに強気」といった謎めいた言語センス

例::「ご指摘にはあたらない」「記録はない」「印象操作だ」

 

そう長くもない文章の中で、自身の差別感情が漏れてしまっている事に気付けていないのが実に非道で、そして情けない。

 

朝日新聞の「ダウン症児の出生 15年で倍増」の記事が、障害の有無を容易に幸・不幸にリンクさせる、配慮のないテキストだった。報じる側は「これから控える」側の安堵ばかりに乗り、「すでに暮らしている」側への負荷を取り込もうとしてない。明らかに調合を怠っている。

 

人の死に対して、物語を投与してしまう身勝手さを、私たちはすっかり忘れてしまう。

 

でもコミュニケーションって、常に失敗しているのであって、そして、そこから飛躍していくのであって、失敗や飛躍を放置していおくほうが、対する個々の振る舞いに対して寛容でいられると思う。 

 

この国のコミュニケーション能力って、正直、主体性・積極性を持たないことによって最高値に持っていくことができる。