ここがパンチライン!(本とか映画、時々 新聞)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『中国 儒学思想を政治に(中国人民大学教授 康暁光)』

f:id:design_your_life:20180724180054j:plain

 

2018年6月20日付け 朝日新聞

「彼らは米国映画を好み、米国人のような服装を来ていますが、深層の考え方はたいへん儒学的で、個人主義的な傾向はあまり見られないのです」 

 

「ある調査で『個人は独立した主体。誰も他人の道具、手段になってはならない』、『社会は調和させる必要がある。家庭、社会抜きに個人は存立しない』のどちらを選ぶか聞くと、大半は後者でした。中国社会は儒学的なのです」

 のどちらかを選ぶか聞くと、大変は後者でした。中国社会は儒学的なのです。

 

例えば、車で人をひいてしまったとする。その人を救助して、すぐに病院に連れて行き、相手の家を慰問する。よく話し合って問題を解決する。これがかつての当たり前の姿です。今は違う。事故が起きれば保険か裁判で解決。自分自身は何もしない。自らの良心に従って行動することがない

 

儒学は公共領域の思想です。国家の政治を論じたもので、私人としての生き方を論じたものではありません。〜〜〜。だから、儒学に基づき、多くの人々が公共生活にかかわるべきなのです。