寄稿:『理解できぬ世界は悪か(角田光代)』
会社サボって、「万引き家族」観れてよかった。
朝日で2回(6/8、6/25)、読売で1回(6/7)、大きく紙面を割かれた。
各記事を並べたいと思う。
幼児を虐待する親は極悪人だと思っているし、万引き常習犯は病んでいるのだろうと思っている。自分が彼らと同じ人間だと思うことは怖い。だから線引きせずにはいられない。
よく理解できないこと、理解したくないことに線引きをしカテゴライズするということは、ときに、ものごとを一面化させる。その一面の裏に、側面に、奥に何があるのか、考えることを放棄させる。善だけでできている善人はおらず、悪だけを抱えた悪人もいないということを、忘れさせる。善い人が起こした「理解できない」事件があれば、私たちは「ほら悪いやつだった」と糾弾できる。
是枝監督は以前から、現代のメディアが陥りがちな「分かりやすさ至上主義」に警鐘を鳴らしていた。彼の映画も、説明しすぎないことが特徴になっている。
「だって、世の中って分かりやすくないよね。分かりやすく語ることが重要ではない。むしと、一見分かりやすいことが実は分かりにくいんだ、ということを伝えていかねばならない。僕はそう思っています」
あたし楽しかったからさ、こんなんじゃお釣りがくるくらいだよ。
あんたマエがあるんだから、5年じゃきかないよ。(作中より)
父ちゃんさ、おじさんに戻るよ。
(作中より)