ここがパンチライン!(本とか映画、ときどき新聞)

物語で大事なのはあらすじではない。キャラクターやストーリーテリングでもない。ただ、そこで語られている言葉とそのリアリティこそが重要なんだ!時代の価値観やその人生のリアリティを端緒端緒で表現する言葉たち。そんな言葉に今日も会いたい。

『等身大の日韓関係』『せめて議論の場は寛容に(佐伯啓思)』

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2018年10月5日付 朝日新聞

 

出水 薫さん(九州大学大学院教授)

「日韓関係がよくない」という言い方を耳いしますが、「日韓関係」とは、いったい何なのでしょうか。

 

首都からの始点がすべてであるように語らず、多様な見方で相対化する努力が必要です。

 

イ・ウンジさん(芸人)

国同士の関係を個人の関係に持ち込まず、国と自分をいったん話して考えた方がいいと思うのです。

チュートリアルの漫才を見て、日本で芸人をめざそうと思った韓国人女性。この子の漫才、一度聞いてみたいなあ。

 

 

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 ここには少なくとも三つの重要な論点が含まれていた。ひとつは、問題となった「生産性」である。

 日本では、構造改革以降、この20年以上、あらゆる物事を生産性や成果主義のタームで論じてきたのである。私はこのこと自体が問題だと思うから杉田氏の論旨には賛同しないが、しかし、政策判断の基準として生産性が適切なのか、どこまでこの概念を拡張できるのか、という論点はある。

 

 第二に、そもそも結婚や家族(家)とは何か、ということがある。法的な問題以前に、はたして結婚制度は必要なのか、結婚によって家族(家)を作る意味はどこにあるのか。こうした論点である。

 そして第三に、LGBTは「個人の嗜好」の問題なのか、それとも「社会的な制度や価値」の問題なのか、またそれをつなぐ論理はどうなるのか、ということだ。しかし、杉田氏への賛同も批判も、この種の基本的な問題へ向き合うことなく、差別か否かが独り歩きした。これでは、不毛な批判の応酬になるほかない。  

 

 そして、新潮社の雑誌の特質は、きれいごとではない、この人間の複雑な様相をいささかシニカルに描き出すところにあった。それがすべて崩れてしまった。

 

 私は、人間社会の深いところに「正義」の観念はあると思うが、それを振りかざすことは嫌悪する。それはたちまち不寛容になり、それでは議論も成り立たなくなる。

 

自分たちの主張を「正義」として、反対の立場を封印することは「コレクトネス」でも何でもない。

 

本当に大事なのは、議論の結論というより、その論じ方であろう。

 

だが 今日、社会から「寛容さ」が急激に失われている。それは論壇だけのことではないのだが、せめて紙媒体の議論の場だけでも「寛容さ」を保つ矜持がなければ、我が国の知的文化は本当に崩壊するだろう。

 

賢い人だわ〜(って京大の名誉教授捕まえてアレだけど..)。

いまだからこそ、こういう人の言うことに耳を傾けたい(そしてこういう人選とテーマを設定できる朝日新聞はほんとそれだけで価値がある)。