ここがパンチライン!(本とか映画、ときどき新聞)

物語で大事なのはあらすじではない。キャラクターやストーリーテリングでもない。ただ、そこで語られている言葉とそのリアリティこそが重要なんだ!時代の価値観やその人生のリアリティを端緒端緒で表現する言葉たち。そんな言葉に今日も会いたい。

「三四郎(夏目漱石)」

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忘れてた、今年は個人的な夏目漱石イヤーなんだった。

ウブでいけず、田舎者で意気地なしな若者の、ビターな上京学生譚。

 

熊本の田舎から東京に出てきて、新しい世界に触れる。

出会うもの凡てにこれまで自分がみてきたものと、いまの自分が目の前にして言語化されたものとの対比がある。その言語化のまなざしが、ことごとく、ウブでシャイで、内向的である。美禰子に惹かれ、生意気だと思い、恐れて迷う、ストレイシープ...

(美禰子は、気になったものの、池のほとりの思い出に留めようとしたことが「森の女」のポージングから判る。)

 

 

「空になった弁当の折を力一杯に窓から放り出した」

 

 

「下女が茶を持って来て、御風呂と云った時は、もうこの婦人は自分の連れではないと断るだけの勇気が出なかった」

 

 

「あなたは余っ程度胸のない方ですね」と云って、にやりと笑った。

三四郎はプラット、フォームの上へ弾き出された様な心持がした。

 

 

 

何処の馬の骨だか分からないものに、頭の上がらない位どやされた様な気がした。

ベーコンの二十三頁に対しても甚だ申し訳がない位に感じた。 

 ジョークか。軽妙だな、まだ。

 

 

「然しこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、

「亡びるね」と言った。ー熊本でこんなことを口に出せば、すぐ殴られる。わるくすると国賊取扱いされる。三四郎は頭の中の何処の隅にもこういう思想を入れる余裕はない様な空気の裡で生長した。

 p23

 

 

「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より・・・」で一寸切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。

「日本より頭の中の方が広いでしょう」と云った。「囚われちゃ駄目だ。いくら日本の為を思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」

 この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。同時に熊本に居た時の自分は非常に卑怯であったと悟った。

 p24

 

 

三四郎はこの時電車よりも、日本よりも、遠くかつ遥かな心持ちがした。然ししばらくすると、その心持ちのうちに薄雲の様な淋しさが一面に広がって来た。

 

 

母に言文一致の手紙をかいた。

 

 

 

女の轢死から、死のイメージの描写

p65

 

 

 

三四郎はこの表情のうちにものゆい憂鬱と、隠さざる快活との統一を見出した。その統一の感じは三四郎にとって、最も尊き人生の一片である。」

p69

(都会の看護婦(女)を見た時の三四郎の感想は大仰にして饒舌)

 

 

 

三四郎には三つの世界が出来た。

・・・

第三の世界は、燦として春の如くうごいている。電燈がある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つ三鞭の盃がある。そうして凡ての上の冠として美しい女性(にょしょう)がある。 

 

 

 

女は見たままでこの一言を繰り返した。三四郎は答えなかった。

「迷子の英訳を知っていらしって」

三四郎は知るとも、知らぬとも言いえぬ程に、この問を予期していなかった。

「教えて上げましょうか」

「ええ」

「迷える子(ストレイシープ)ー解って?」 

p147

 

 

三四郎はいたづらに女の顔を眺めて黙っていた。すると女は急に真面目になった。

「私そんなに生意気に見えますか」

その調子には弁解の心持ちがある。三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れれば好いと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出てきた。晴れたのが恨めしい気がする。

p148 

 

 

 

吾々は旧き日本の圧迫に堪え得ぬ青年である。

同時に新しき西洋の圧迫に堪え得ぬ青年であるという事を、世間に発表せなばいられぬ状況の下に生きている。

p170

 

 

「君、元日に御目出度と云われて、実際御目出たい気がしますか」

「そりゃ・・・」

「しないだろう。それと同じく腹を抱えて笑うだの、転げかえて笑うだのと云う奴に、一人だって実際笑ってる奴はいない。親切もその通り。御役目に親切をしてくれるのがある。

 p196

 

 

 

「君、あの女には、もう返したのか」

「いいや」

「何時までも借りて置いてやれ」

p246 

 

 

三四郎はどうともして、二人の間に掛かった薄い幕の様なものを裂き破りたくなった。然し何と云ったら破れるか、まるで分別が出なかった。小説などにある甘い言葉は遣いたくない。趣味の上から云っても、社交上若い男女の習慣としても、遣いたくない。三四郎は事実上不可能の事を望んでいる。望んでいるばかりではない。歩きながら工夫している。

p283 

 

 

「どうだ森の女は」

「森の女という題が悪い」

「じゃ、何とすれば好いんだ」

三四郎は何とも答えなかった。ただ口の内で迷羊、迷羊と繰り返した。

 

 

 

 

 

三四郎

三四郎