『北の国から 92’巣立ち』
これくらいからか。五郎の演技が大げさになった。より個性を研いできた。
富良野に一人でいることが(自分自身でひとりごつことが多くなった)、からという説明も出来るが、とことん甘くこびる言動や口調になったことは確かだ。蛍に「次はいつ帰ってくるんだ?」って電話するときとか。
「ふけたあー」
とか、終始機嫌良く酔っぱらってるときみたいな人物造詣。
飲み屋のシーンも増えた。待つ男(待つ父)なのだ。子供が帰ってくるのを本当に楽しみにしているのだ。(この「故郷で待つ父、それを疎む子」という構造は最後に事故で効いてくる)
雪子が遊びにくるという報せに子供のように喜ぶ五郎。
「そのままにして。子どもと寝かしてもらってもいいかな」
蛍もまた、恋の真っ盛りだった。
父さんには言えないことだけど、富良野の駅には立っていた。
改札から出なかった。
蛍の語りは暗い。罪の意識にさいなまれた。
(恋人に会いに行くため、父親には会いに行っていない。馬を引く医者の卵、ゆうちゃん(緒形直人))
「ゆうちゃん、卒業したらどこ行くの?東京?札幌?」
お部屋でのラブシーンへの流れに蛍はやんわり拒否して、
「お手て憎んで、人を憎まず」
うまい!何という貞操観念だ!
こんな言い回し出来る娘、東京にいない!なんて賢い子だ!
帰りの電車乗る時にふざけ合った後の、どぎまぎ顔。えっ!?
(人間って、大事な人とか仲間とふざけ合ってるときでもふいに”自然”が刺すときがある。その人間の”真”が。真面目に生きてても、魔が差すことがある。)
倉本聰はそういった人間の真を避けずに、しっかりかましてくる。だから面白いんだ。人間はストーリーに沿って動く人形ではない。人生は予定調和じゃないものだから。
正吉「あのとき、俺、おじさんに育ててもらって息子だって思ってますから」
一方、東京で純は。
札幌にいるレイちゃんと、土曜の同じ時簡に同じビデオを観ることにしていた。
ガソリンスタンドのバイト中にピザの配達をするトロ子(松田たま子=裕木奈江)と知り合っていた。舌ったらずでファンシイ。
「渋谷の円山ってところにあるホテルなら、一緒にビデオが観られるってえ」
そうして僕らは、ちょくちょくビデオ鑑賞会をひらく。
僕はたま子を愛してないのに、抱くことを望んだ。
レイちゃんのように愛していなかった。
僕は不純だった。
父さん、僕は不純です。
僕は汚れてしまった。
五郎が、トロ子を妊娠させた件で東京に謝りにやってきた。
飛行機に乗るのが初めてで(熊さんに言われた通り)、飛行機の入り口で「すいません、下駄箱はどこですか?」と聞いてしまった。恥ずかしいのなんの、みたいな話を女孕ませた息子にして笑いをとる。
五郎は今回の件を問い詰めず、怒らない。
こういうとき、純はいつもツラいと言う。
で、あまりにも有名なシーンへ。謝りに行った先の文太。
たま子を預かるおじさんは文太。
文太が問う、
「誠意って何かね?」
怖過ぎる。
東京はもういい。私、卒業する。
純くんとのこと、楽しかった。
私、全然後悔してないから。
と言い、ショップウィンドウ越しに別れを告げ、彼女は故郷の鹿児島に帰って行った。
五郎と純。蛍を待っている間のカフェで、
「くれた金だ。早くしまえ!」
吹雪の中、木材に挟まれて死にそうになった五郎を助けた翌朝。
棟梁の金ちゃん(大地康雄)は、小屋まで言った純と蛍の前で、
「それは違うな。 運でもねえ。
あいつは、自分で生きたんだ。」
五郎がひん死を負って助けられた翌朝。
父親を一人残すことに決心を鈍らされた蛍は「わたしやっぱり富良野に残る」というが純は返す。
男ってさ、同情されたって傷つくだけなんだよな。
地方から都会に出てきた、全ての子供たち必聴の回です。