ここがパンチライン!(本とか映画、ときどき新聞)

物語で大事なのはあらすじではない。キャラクターやストーリーテリングでもない。ただ、そこで語られている言葉とそのリアリティこそが重要なんだ!時代の価値観やその人生のリアリティを端緒端緒で表現する言葉たち。そんな言葉に今日も会いたい。

「新プロパガンダ論(辻田真佐憲・西田亮介:ゲンロン叢書)」

  

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ゲンロンで対話された”プロパガンダ”に関する論考のまとめ書き書籍。

主に、政権与党や政党、政治的権力が、有権者に働きかける広報・PRに関わる論考。

東京新聞記者の望月衣塑子さんが「おもしろい!」と感想して、ゲンロンイベントにも参加していたのでポチッてしまった。

 

二人とも30代後半の、近現代史研究家、社会学の専門家である。

通読して、若い世代の論考なんだなと思った。

 学究ではなく市井に生きる我々にとって、地続きのリアリティと平易で理解しやすい次元の概念を用いて語られているが、テーマに沿った事例やエピソードの提出が主で、かつての宮台真司東浩紀が入ったときの論の深まりや知的拡張性に乏しい。パンチラインとして、ラインマーカーで線引く箇所も少なった。

まだまだこれからの専門家たちといった印象。

 

 

であるならば、曖昧にならざるをえない総合知を絶え間なくバージョンアップしていくことではないか。かつてそれは、大量に存在していた総合雑誌などの座談会で、専門家と評論家がお互いを信頼し、尊敬しながら、自由闊達に言葉を交わすことで実現されていた。 

 

 

近年の事例では、ミュージシャンのゆずが「ポップミュージックに乗せればなんでも表現できる」と言ったことと似ています。

 

 

 『音楽と人』という雑誌で、愛国ソングとして話題になっった「ガイコクジンノトモダチ」について語られていた件ですね。その曲を聞くと、外国人の友達ができ、彼らから「わたしは日本が好きだけど、あなたは日本のどこが好きなの?」と聞かれて、国民意識に目覚めるという内容です。そこから突然、国家や国旗、靖国神社の桜の話になり、このグループはオリンピックの仕事がしたいのかと勘ぐりたくなるような内容になっていきます。

 

 

 

政治家はよく、握手した人しか投票してくれない、という話をします。

 

 

近年、大学院の重点化によって、研究者が増加し、研究領域があまりにも細分化しているように思います。そのことによる成果はあるものの、重箱の隅を突くような、オタク的な間違い探しもはびこっています。

 

 

吉本興業は近年の闇営業問題で明らかになったように、ほとんどガバナンスが機能していない会社です。近年、教育や町づくりといった公益性の高い領域に進出していますが、基本的なガバナンスの仕組みもない。 

 

 

確信犯的に問題のフレームアップ(でっちあげ)をはかったのではないか

 

 

辻田 わたしは平時であっても、成熟した議論ができる環境が整わないかぎり、改憲は支持できない立場です。

 

西田 市民が自己決定し、かつそのことを尊重できる政治文化が前提にならなくてはいけません。そのうえで、自己決定と自己責任を区別し、自己決定を尊重しつつ自己責任に陥らないパターなりスティックな政策を採用できる政府も必要でしょう。この療法が揃っていなければ、憲法改正の議論はできないと思います。

 

 

 

あるいは、国会の質疑や記者会見でも、安倍首相は応答の際にひたすら同じことを繰り返す戦術を取ってきました。こういった姿勢に見られるのは、安倍政権が自分たちを支持する四割を固めることに全力を注ぎ、それ以外の国民の意見に応えようとしてこなかったということです。

 

 

 

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