ここがパンチライン!(本とか映画、ときどき新聞)

物語で大事なのはあらすじではない。キャラクターやストーリーテリングでもない。ただ、そこで語られている言葉とそのリアリティこそが重要なんだ!時代の価値観やその人生のリアリティを端緒端緒で表現する言葉たち。そんな言葉に今日も会いたい。

『Blue Velvet (デヴィッド・リンチ)』

 

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86年、脚本・監督 デヴィッド・リンチ

夢と闇の中で描かれる暗示と象徴が、観るものに詮索とミスリードを起こさせる。


冒頭のシーン、芝生で何かに噛まれて倒れた親父。

草むらで”耳”を拾ったジェフリー(金物屋のせがれ)が警察に持って行く。

 

 

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事件性に興味をもったジェフリーは刑事の娘で大学生のサンディ(ローラ・ダーン)と知り合う。

 

エホバの証人になりすます。パンフレットもある。」

「あなたは探偵?それとも変質者?」

 

 

 

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なりすまして出会ったドロシーの家に後日忍び込み、クローゼットに隠れているとバレて刃物を突きつけられる。一揉めしたあと「こうゆうの嫌い?」と誘惑され、ジェフリーもすっかり楽しむ気分に。

 

 

やがて現れたフランク(デニス・ホッパー

「脚を開けろ!こっちを見るな。」

 

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口鼻に葉っぱを吸い込む吸引機を吸いながら「ママ、マミー!!」って股間に頭をつける。ベルベットを吹き付けながら、「ああ、イキそうだっ!!あーっ!」ってやりながら「見るんじゃね!!」

というプレイシーンがあまりにも鮮烈に頭の中に残る。観るものは以後もこの印象に幻惑、惹きつけられ続けるのだ。すごい演出効果。

女が「Hit me!」って連呼するようになる。


随所随所に登場人物たちが言葉にする「この世は不思議。」

まさにそうなんすよね。
不思議なこの世を効果的に描き出すリンチ的世界観は”夢と闇”によって演出される。


どんどんドロシーとの逢い引きにのめり込んで行くジェフリー。

「何でもやってあげる。 Anything」というドロシーに、女が自発的に「ぶって」と言うようになる。こりゃ、さっきのも女が好きでやっていたプレイなのか!!?という疑いを抱く(観ている方の認識する立場と価値とが転倒する)。

 

 

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終盤、サンディーとパーティに行った帰り道でサンディーの元カレの逆上で吊るし上げられた裸のドロシーを、ジェフリーは抱いて介抱してあげる格好に(しかもよりによってサンディの家で。自分のカノジョの母親の前で、さらには「ああ私の秘密の恋人!」とか言われてるし)。

 

最後に、ドロシー宅でフランクと対決して勝利。

 


エンディングはストーリー的には平和裏に、構成としては一貫性さえ感じる上手な締めくくり。

こまどりを目にしながら、平和な家庭の絵にはサンディも。

「この世は不思議なところね。」