ここがパンチライン!(本とか映画、ときどき新聞)

物語で大事なのはあらすじではない。キャラクターやストーリーテリングでもない。ただ、そこで語られている言葉とそのリアリティこそが重要なんだ!時代の価値観やその人生のリアリティを端緒端緒で表現する言葉たち。そんな言葉に今日も会いたい。

『仕事。(川村元気)』

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川村元気氏のその道の熟達者へのインタビュー本。

若くして有名になると、出版社にこういう企画が組まれるんだよな。

 

川村元気 だから、撮れなくなる監督は、仮説ですけど、どかかで撮らない理由を見つけてしまったのかなと思います。

神棚に上がってしまったほうがラクで、つくり続けるってことは一方で「昔のようがよかった」といわれるリスクもはらんでいますよね。

 

 

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倉本聰 ただ、本当に書きたいものだからこそ、ストレートに伝えるんじゃなくて、ゲリラ的に出さないといけないとも思いました。具体的には、”糖衣錠”という方法を思いついたんです。ーーー要するに本当に書きたい核の部分は苦いんだけど、外の部分だけ甘く見せることで、後でじわじわきいてくるという。

 

 

倉本 あのシーンは、初めは純が告白するだけで終わってたんですよ。ところが、どうも自分の中で”チック”がないという気がして、最後の最後でつけ足したのが、正吉を見送った後、ラーメン屋に入った五郎たちを店員の伊佐山ひろ子が「早く食べて帰って」と執拗に催促する部分なんです。

 

ーー突発的に出てしまう人間のくせ、つまり人間のこだわりみたいなものですね。

映画を書くときはドラマの筋立ての大きなうねりが大事ですが、テレビではチックでうねらせることを必死に考えていて、それを書くことだけは若い頃から意識して専念してきた気もします。

 

倉本 本筋とは関係なくても、結局その人間が見えるシーンというのを、観ている人は覚えているものだと思うんです。飯を食べたり酒を飲みながら、ぱっとひらめいて箸袋の裏に書き留めたりということをよくしますね。

 

 

 

秋元康 映画にしても、監督や脚本家やプロデューサーなんかが、そのために映画をつくったっていうワンシーンがないといけないと思うんだよね。

 

 

美輪明宏さんの若い頃、

「江戸川先生が『君を切ったら何色の血が出るんだろうね』っておっしゃったので、私は『七色の血でございますよ』と答えました」って。江戸川先生って江戸川乱歩ですか、みたいな。

 

 

 

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宮崎駿 一応オーディションをやったんですが、アテレコになれすぎて声に日常性を失っている人ばかりで「だめだこりゃ」って。そこで、僕の知っている範囲でいちばん正直にしゃべっているのはあいつだなと。ほとんど同時にプロデューサーの鈴木敏夫さんんと「庵野だ!」ってことになって、本人に声をかけたら、ひょいひょいと乗ってきたんですね。

 

 

宮崎 庵野に「僕はもう『ナウシカ』をやらないからやっていいよ」と言ったのは、あの頃描いたような思いを込めて『ナウシカ』を描くことは、今の僕にはもうできないからです。 

 

 

坂本龍一 勉強するってことは過去を知ることで、過去の真似をしないため、自分の独自なものをつくりたいから勉強するんですよ。

 

 

 

糸井重里 あるいは「インターネットは終わりだ」という人に、だったら何か策があるのかと聞いても、「いけね、何も考えてなかった」みたいなことが多いように思います。つまり、ネット上の世間は全員学生なのか?って話です。何をして飯を食ってるのか見えない人が、世界のことばかり言ってませんか?

 

 

やっぱり出てきた糸井重里

糸井重里に時代の空気を察知する炭坑のカナリアのような鋭敏な感覚があることは彼の実績からも認めるし、彼の美点だとも思うが、その一方で、体制や権力に文句を言っても仕方ないじゃないか」という姿勢には幻滅させられてきた。

これはあらゆる共同幻想(戦後思想)から脱せよ。核兵器というものについても「手を付けた以上、後戻りはできないんだ(元には戻せないんだ)」と言い放ってきた吉本隆明のスタンスに近い。

 

昨今の彼の「心地よい」とか、「気持ちが良い」みたいな彼にとって居心地のいい話ではなく、居心地が悪くて、ムカついている話を聞きたい。

鋭敏な彼から出てくるものが、異様に気になるからだ。

 

 

 

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