『戦争は自衛の暴走で始まる -森達也 2014年6月26日 朝日新聞』
ベルリン自由大学の学生から「8月15日は日本のメモリアルでーなのですか」と質問された。
「終戦記念日だからメモリアルデーですね。ドイツではいつですか?確かベルリン陥落は5月ですね」僕のこの問いかけに学生たちは、
「その日は、ドイツにとって重要な日ではありません」と答えた。ならば重要な日はいつだろう。学生たちは「1月27日」と答える。首をかしげている僕に彼らは「アウシュビッツが連合国によって解放された日です」と説明した。
ドイツのメモリアルは加害。日本では(広島・長崎も含めて)被害。
結果としてこの国は、自らの加害を起点に考えることをしなかった。
この流れに抵抗する人の一部は、現政権を「彼らは戦争をしたいのだ」と批判する。少し違う。彼らは彼らなりに戦争を忌避している。戦争の悲惨さをわかっている(と思いたい)。ただし、戦争のメカニズムが分かっていない。多くの戦争は自衛の暴走で始まることを理解していない。
「私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。これはお互いに欲心を放棄しておらぬ証拠である。国家から欲心を除くということは、不可能のことである。されば世界より戦争を除くということは不可能である」『秘録 東京裁判』(中央公論新社)
処刑直前に東条英機はこの遺書を残した。確かに自衛の意識はなくならない。でも手段を制限することはできる。この国は戦後、身をもって世界から戦争を除くための理念を掲げた。不可能に挑戦した。