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ここがパンチライン!(本とか映画、そんでときどき新聞の)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『議論を忘れた日本人 -橋本治 2014年7月8日』

新聞記事で・・・  政治  批評・評論  創作のヒント 

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朝日新聞、オピニオン面。

 

集団的自衛権の行使が日本の安全を守る抑止力になる」と言う人もいますが、

一方では「集団的自衛権を行使しないことが日本の安全を守る抑止力になる」という考え方だって出来ます。

 

 

問題は、「安倍内閣が憲法解釈を変えて、集団的自衛権は行使可能である」としてしまったことであるかもしれませんが、これまでの歴代内閣が「集団的自衛権は行使出来ない」と憲法を解釈していたのである以上、「時の内閣が憲法の条文を解釈する」ということは、理論上なんの問題もないことです。〜・〜

憲法はそのようにも解釈できる」と時の政権担当者が言ってしまった段階で決めてしまったも同然です。国民に出来ることは、この時に内閣の支持率を下げることだけでしたが、そういう動きもありませんでした。

 

 

必要なのは説明だけで、しかもその説明は、説明する側が「もう説明した」と思ってしまえば終わりです。国民の声を聞く必要も議論をする必要もありません。

 

 

尋ねられたことに対して向き合わない。

その代わりに近似した別の「自分の思うこと」だけを話して、議論を終了したことにしてしまう。なかには話されたけれども、しかし疑問はそのままになっている。「なんかへんだな?」という思いが残るのは当たり前ですが、どうやた日本人はそのこと自体を「おかしい」とは思わなくなっているらしい。〜・〜「議論として成り立っているかどうかを判断する力」を失ってしまったのでしょう?

 

 

誰か首相に近い人、安倍首相に論理学の講義を。

ディベートの基礎オリエンを施してやってあげるべきだ。

 

これが変だと思わない感覚

集団的自衛権云々より由々しい