ここがパンチライン!(本とか映画、ときどき新聞)

物語で大事なのはあらすじではない。キャラクターやストーリーテリングでもない。ただ、そこで語られている言葉とそのリアリティこそが重要なんだ!時代の価値観やその人生のリアリティを端緒端緒で表現する言葉たち。そんな言葉に今日も会いたい。

『議論を忘れた日本人 -橋本治 2014年7月8日』

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朝日新聞、オピニオン面。

 

集団的自衛権の行使が日本の安全を守る抑止力になる」と言う人もいますが、

一方では「集団的自衛権を行使しないことが日本の安全を守る抑止力になる」という考え方だって出来ます。

 

 

問題は、「安倍内閣が憲法解釈を変えて、集団的自衛権は行使可能である」としてしまったことであるかもしれませんが、これまでの歴代内閣が「集団的自衛権は行使出来ない」と憲法を解釈していたのである以上、「時の内閣が憲法の条文を解釈する」ということは、理論上なんの問題もないことです。〜・〜

憲法はそのようにも解釈できる」と時の政権担当者が言ってしまった段階で決めてしまったも同然です。国民に出来ることは、この時に内閣の支持率を下げることだけでしたが、そういう動きもありませんでした。

 

 

必要なのは説明だけで、しかもその説明は、説明する側が「もう説明した」と思ってしまえば終わりです。国民の声を聞く必要も議論をする必要もありません。

 

 

尋ねられたことに対して向き合わない。

その代わりに近似した別の「自分の思うこと」だけを話して、議論を終了したことにしてしまう。なかには話されたけれども、しかし疑問はそのままになっている。「なんかへんだな?」という思いが残るのは当たり前ですが、どうやた日本人はそのこと自体を「おかしい」とは思わなくなっているらしい。〜・〜「議論として成り立っているかどうかを判断する力」を失ってしまったのでしょう?

 

 

誰か首相に近い人、安倍首相に論理学の講義を。

ディベートの基礎オリエンを施してやってあげるべきだ。

 

これが変だと思わない感覚

集団的自衛権云々より由々しい