『火花@Netflix(6話〜10話)』
ドラマの後半。
留まる言葉は少なかったような気がする。
言葉は全て何気ないもので、文脈とストーリーの中にあってようやく機能していた。
「お前、何、勃起しながら泣いてんねん」
「性欲の強い、赤ちゃんか」
「この人が全ての答えを持っていると思い込んでいる節が、僕にはあった」
純粋にお笑いというものを見つめ続けてきた2人にとって、それはお笑い商業主義への嫌悪があった。2人のボケの世界は、或る意味、生きる為のユーモアみたいになってしまった。
売れるお笑いへのアンチテーゼ = 今いる自分の場所の確認
ホームレスと一緒に空き缶踏んでるシーンは、多分に又吉的笑いである。それは目指された「ズレ」である。周囲との違和を笑いに変えるのである。こうして考えながら、ふと思った。川端や小林秀雄とちゃうけど、コイツ(又吉)、死にたくなってんのとちゃうかな。
解散を決めた日、3人で線路脇を歩きながらインコのネタをする。
僕の一番好きなシーンの一つだ。
解散ライブのネタの構造。反対のことを大声で言う。
「死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!」
熱海でいつか神谷がやっていたネタの反語的実現。
「東京湾であいつのサンダル見つかったって噂あんねんで」