ここがパンチライン!(本とか映画、時々 新聞)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『火花@Netflix(6話〜10話)』

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ドラマの後半。

留まる言葉は少なかったような気がする。

言葉は全て何気ないもので、文脈とストーリーの中にあってようやく機能していた。

 

 

「お前、何、勃起しながら泣いてんねん」

「性欲の強い、赤ちゃんか」

 

 

「この人が全ての答えを持っていると思い込んでいる節が、僕にはあった」 

 

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純粋にお笑いというものを見つめ続けてきた2人にとって、それはお笑い商業主義への嫌悪があった。2人のボケの世界は、或る意味、生きる為のユーモアみたいになってしまった。

 

売れるお笑いへのアンチテーゼ = 今いる自分の場所の確認

 

 

ホームレスと一緒に空き缶踏んでるシーンは、多分に又吉的笑いである。それは目指された「ズレ」である。周囲との違和を笑いに変えるのである。こうして考えながら、ふと思った。川端や小林秀雄とちゃうけど、コイツ(又吉)、死にたくなってんのとちゃうかな。

 

 

解散を決めた日、3人で線路脇を歩きながらインコのネタをする。

僕の一番好きなシーンの一つだ。

 

 

解散ライブのネタの構造。反対のことを大声で言う。

「死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!」

熱海でいつか神谷がやっていたネタの反語的実現。

 

東京湾であいつのサンダル見つかったって噂あんねんで」

 

 

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